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(以下の映画評は2001年8月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています)
ノスタルジア | |
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他の映画と圧倒的に異なる、独特の映像美を持つロシア人監督の作品です。ロシアの詩人が通訳の女と共に、イタリアに行くというストーリーです。
ヒッチコックを起源とする、サスペンス映画的ストーリー展開の速さとは対極にある、非常にゆったりとした進度で物語が進みます。静止画が多く、絵画作品を眺めているような感覚に襲われます。なのに、ヒッチコックと同様の緊迫感が映像全体に貫かれており、決して退屈な気分は起きません。物語の葛藤によって観る者の興味を持続させるやり方とは、全く別の魅力が全編に満ちているのです。
カットの一つ一つが凡庸な絵画よりもよっぽど美しいのです。シーンの一つ一つはいついかなる時も、フェルメールの絵画のような静寂に満たされています。人工の部屋でも、人でも、タルコフスキーが撮ると、自然の事物のように、はるか昔からそこにあったかのような存在感が生まれるのです。古代の神秘的世界を覗いているかのような不思議な感覚に囚われます。
カメラは全ての事物が永遠性を持つことを証明しようとしているかのようです。場面が変わるたびに私達の時間が止まります。観ている私たちの時間が、停止し続ける映像に同調するのです。映像は抑えられた暗い色調で、細部が神秘的にぼかされていることが多いです。小さく聞こえるドアの開閉音を聞いただけで、画面では深い闇になっている部分に存在するだろうドアの様子を、視聴者の私たちが想像するのです。ドアを通る人、ドアの先にある部屋までもが想像されてきます。
通訳の女性が胸をはだけるシーンがあるのですが、まったくエロスを感じさせません。彼女が画面の奥の方にしか見えないのと、暗いので胸の形をよく認識できないのがエロスを感じさせない一義的理由です。観ている者はタルコフスキーによって感覚が研ぎ澄まされているので、胸の形を想像するのですが、それでもエロスはおこらず、物質的な、彫刻のごとき胸しか想像できません。異性愛的なエロスとは別のエロス、形態の美が作品を通して表現されていると思います。神の愛の前に法悦するマグダラのマリアのように、観る者は日常とは別種の、感傷とは無縁の高貴なエロスの世界に誘われるのです。
主人公の詩人も感傷を排しています。彼は旅行先のイタリア人たちが示す生活の喜びにも、通訳の女の嘆きにも全く同調しないで、自分の世界を保ち続けようとします。物語冒頭で詩人は、他の言語に訳された詩では、元の語が持っていた詩の魅力を表現できないといいます。共通理解に対する諦念を持つ男が、わざわざ異国の地に来たのは、イタリアで生活していたある詩人のことを理解したかったからでした。自分に近い特殊な感性を持つ者とは、物理的・空間的距離を越えて、分かりあえるという予感があったのでしょう。
主人公の詩人はまた、自分と同じように他者と協調できない精神病者との意志疎通を試みます。手間取りながらも意志疎通はかすかに成し遂げられ、通訳の女との仲も修復し、イタリアに来た目的も果たせたかのようでした。しかし、分かりあえたと思えたのも束の間、詩人が心を許した男は炎に身を包んで自殺します。ラストで詩人は、自殺した男との交流の証である蝋燭の火を灯し続けようとします。
自殺のシーンが始まった時、突然それまでの静寂を破り、音楽が鳴り響きます。詩人が火を守るシーンも同様に音楽が鳴り響きます。それまでの緑を基調にした青く暗い世界が破れ、初めて鮮烈な炎の赤色が描かれます。リリシズムの世界から激しく燃えるセンチメンタルな世界に移ることで、初めて二者の共感が可能になったのではないでしょうか。それは両者の破滅を伴う悲痛なもので、物語の終局にもなってしまいました。しかし、この終局は、詩人の新たなる詩作の始点といえます、いったん燃えた炎が消えることで世界は再び静寂を取り戻すのですから。
詩人の同調のなさ、美への真摯な態度は、他の映画とは異なる映像美をうちたてようとした監督の強い姿勢に重なります。イタリアへのバカンスの物語なのに、イタリア的な陽気さ、華やかさはほとんど映像に出てきません。南欧なのに北欧であるかのような、深い静寂に包まれた陰鬱な景色が続きます。詩ならば言語という壁がありますが、映像は観る者全てに届きます。タルコフスキーは深い観察力によって、ロシアと違う可能性をもつようにみえるイタリアの風景からも、静寂に包まれた世界を取り出したのでした。スピード競争とは無縁の、至福の時間を過ごせます。
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