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映画評:ヴィスコンティ『ヴェニスに死す』

この記事の最終更新日:2006年4月23日

ベニスに死す
ベニスに死すダーク・ボガード トーマス・マン ルキーノ・ヴィスコンティ

ワーナー・ホーム・ビデオ 2006-02-10
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(以下の映画評は2005年12月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています。)

1971年作品、《製作・監督》 ルキノ・ヴィスコンティ、《原作》 トマス・マン、《音楽》 グスタフ・マーラー。《出演》ダーク・ボガード(主人公の作曲家グスタフ・アッシェンバッハ役)、ビョルン・アンデルセン(美青年タッジオ役)。

監督ルキノ・ヴィスコンティはイタリア人。ジャン・ルノアールのもとで助監督を勤めている。第一作は「郵便配達は二度ベルを鳴らす」、代表作品に「地獄に堕ちた勇者ども」、「ルートヴィヒ」など。

トマス・マンによる原作版では、主人公は小説家だったが、映画ではマーラーを連想させる作曲家に変更されている。をマーラーを暗示させるものが作品中に散りばめられている。

映画後半にマーラーの交響曲5番の第4楽章アダージェットが何度も繰り返される。

主人公アッシェンバッハのファーストネームがマーラーと同じくグスタフである。

原作にはない主人公の娘の葬儀場面が回想シーンとして挿入されるが、マーラーの娘も、「亡き子をしのぶ歌」作曲後に亡くなっている。

主人公自ら作曲した曲を指揮したら、観客の大ブーイングにあい悲嘆する場面が回想シーンとして挿入される。マーラーも自作交響曲の初演ではよく非難されていた。

回想シーンに現れる主人公の作曲仲間の容貌が、マーラーによく似ている。

他にも様々な暗示がある。「ヴェニスに死す」とマーラーの関係は、渡辺裕「文化史の中のマーラー」(筑摩書房、1990年)に詳しい。

名作小説の映画化はたいてい失敗に終わるのだが、この作品は奇跡的に名作となっている。おそらくマンの「ヴェニスに死す」を退屈に思った読者でも、十分ヴィスコンティの映像世界に引きこまれることだろう。何より主人公が恋する青年タッジオが美しすぎる。ヴィスコンティはヨーロッパ中を探して、タッジオ役の少年を見つけたという。ビデオパッケージに映る彼の容貌はそれほど美しくないし、おそらく他の映画に出ても、彼はごく普通の美形俳優にすぎないだろうが、「ヴェニスに死す」の映画内に現れる彼は、異性愛者の男性でも十分恋してしまうほど美しすぎる。美の効果はヴィスコンティの演出によるところが大きい。グスタフとタッジオは一つも会話しない。グスタフはいつも遠くから青年を眺めるばかり。老いた自分から遠いところにいる若々しい青年の皮膚、瞳、髪、姿勢の美しさは、直接の交流がない分一層高まっている。マンの原作小説では、あそこまで美しい青年を読者に想像させえなかっただろう。これなら男でも女でも間違いなく恋してしまうようにヴィスコンティは青年の美を描き出している。古代ギリシア、プラトンら哲学者はああした美青年に恋していたのではと思わせる古典的優美である。

物語の後半ではしつこいくらいにマーラーの交響曲五番のアダージェットが流れる。ヴェニスの街を縫うように流れる河を主人公が下る場面で、はじめて曲を耳にするときは非常に感動的なのだが、終盤数分おきに同じ曲を繰り返されると、どんなにすばらしい旋律でもさすがに辟易してしまう。しかし、あつかましい演出に対して嫌悪感をもよおさせることさえ、ヴィスコンティは狙っていたのかもしれない。

芸術的な映画なので、ハリウッド製の鑑賞者を退屈させないことを主眼にした娯楽映画になれた現代人にとっては、途中だれる部分も確かにある。しかし、最後の海辺の場面を見るためだけにも、全編通して見て欲しい。タッジオが砂浜で同世代の友人ととっくみあいをする。体をからませあって、砂の上でもがく二人の様子は激しいセックスを連想させる。けんかが終わると、タッジオは砂に顔をうずめて、泣いているような様子を見せる。その様子を遠く見つめるグスタフはいまにも泣きだしそうであり、タッジオを助けに行きたいのだが、体が病気で動けない。タッジオは立ち上がると、手を差し伸べる友人を振り払って歩き、海の中に入っていく。夕日にきらめくタッジオの後姿には、これから入水自殺でもするのかと思わせるような悲愴さがあるが、下半身が水の中に浸ると、タッジオは歩みを止めて、画面も固定される。一瞬カメラの方、すなわちグスタフの方をタッジオは振り返るのだが、日差しが強すぎて彼の顔は影となる。この最終場面でも当然のようにマーラーのアダージェットが流れているのだが、日光を反射して光る海水、波の動きが作り出すきらめきの乱反射が美しすぎる。

この後みんながいいと言っていて、悪く言っている人を知らないハリウッド製のミュージカル映画を見た。冒頭から主演女優の露骨なセックスシーンがあり、それからもずっと卑猥なシーンが続いたので、見るのが嫌になった。これは鋭い社会批判かもしれないと思ったし、最後まで見終えないで作品を判断するのはよくないとも思ったが、自分の良心の声に従って見るのを断念した。ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』を見た後では、ほとんどの映画は通俗的に思えてしまう。

しばらくして、映画で引用されたマーラーの音楽は、ウィーンの音楽識者から通俗的だと非難されていたことを思い出す。曲や指揮法が通俗的だと非難されていた神経質なマーラーはしかし、ブラスバンドの奏でるマーチをひどく軽蔑していた。

今人気の若手お笑い芸人は、他の芸人がシモネタを言うと、みんなこぞって「うわ、シモネタだ。最低」と批評しあうことに、テレビのお笑い番組を見ていて気づいた。そういえばテレビのお笑いは最近シモネタをしない。そういうモラルを作ったのだろう。昔ダウンタウンはシモネタをしまくっていたことを思い出す。松本人志が、シモネタをいけないという世間の風潮に反逆する意志の文章を発表していたことも思い出す。

低級さと芸術は対立するものではない、真に芸術と対立しているのは、高尚でないものは通俗的だと非難する俗物の一般的良識だというのが、ボードレール、フローベール的芸術観だったことも思い出す。道徳価値を考慮しないモダニズムの芸術観にトルストイやロランは反対していたことを最後に思い出す。

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