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書評:ヘッセ『荒野の狼』

この記事の最終更新日:2006年4月23日

(以下の書評は2005年11月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています。)

荒野のおおかみ
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Hermann Hesse

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ヘルマン・ヘッセ「荒野の狼」辻ひかる訳。中央公論社「新集世界の文学27ヘッセ」所収、1968年発行を引用元として使用。原著刊行は1927年、著者50歳の時である。

青春文学の旗手、ヘッセの中では異色作。戦争に突き進むドイツ社会から離れて生きる、むさくるしい中年の男が主人公である。日本では人気がないが、ベトナム戦争時アメリカの学生たちがこの作品を読み親しんだという。「ステッペンウルフ」という作品名は「Born to be wild」という曲で有名なロックバンドのバンド名ともなっている。

ハリー・ハラーという名の主人公は自らを「荒野の狼」と認識する。社会に背を向けて生きる彼は、夜の街でヘルミーネという女性に出会う。ヘルミーネはハリーの中に自分と同じ孤独を見て、ハリーに接近したのだった。

「あなたは心のなかに人生像を描いていました。信仰を抱き、要求を持っていました。行動し、苦しみ、犠牲を払う用意をしていましたーーところがだんだんに気がついてみると、世間はあなたから、行動や犠牲などはいっこうに要求しないし、人生というものも、英雄的な役割とかそういったもののある、気高い勇ましい詩ではなくて、市民的な、居心地のよい部屋であり、そこで人は食べたり飲んだり、コーヒーを飲んだり靴下をつくろったり、カルタをやったり、ラジオ音楽を聞いたりして、すっかり満足しているのです。もっと別なことを望んで、もっと別なものを心のなかに持っている人、つまり英雄的で、美しいものとか、偉大な詩人に対する尊敬とか、聖者に対する尊敬とかを、望んだり持ったりしている人は、道化だし、騎士ドン・キ・ホーテだというわけです。そうです、あなた、わたしの場合もそれと寸分たがわなかったのです。わたしは、すぐれた才能にめぐまれた娘で、高い理想に従って生き、高い要求を自分に課して、尊い使命を果たすように定められていました。大きな運命をになうことができたのです。王様の妻や、革命家の恋人や、天才の妹や、殉教者の母にもなれるところでした。ところが、人生がわたしに許してくれたのは、まあわりに趣味のいい、といった遊び女になることだけでしたーーそれだけでも、やっとのことで許されたのです! これがわたしのたどった道でした。わたしはしばらくのあいだ、なんの希望もなくなり、長いことその罪を、自分の身にさがしまわっていました。人生というものは、結局のところいつも正しいものにちがいない、その人生が、わたしの美しい夢をあざ笑っているのならば、それならばほかならぬわたしの夢自身が、おろかであり、まちがっていたのだろう、とそんなふうにわたしは考えたのです。でも、そう考えてみても、なんの役にもたちませんでした。(…)わたしの知りあいとか、となりの人たちとか、五十人やそれ以上の人たちとその運命とを、よく見つめてみたわけです。するとわたしにはわかったのです、ハリー、わたしの夢の方が正しかったのだ、と。あなたの夢と同じに、夢のほうがずっと正しかったのです。人生のほうが、現実のほうが、まちがっていたのです。わたしのような女が、タイプライターの前にすわって、かねの亡者に仕えながら、あわれに無意味に年をとっていったり、あるいはその金の亡者と、おかねのために結婚したりするか、それともまたは一種の娼婦になりさがるかするほかに、なんの道もないのだということは、まったくまちがったことです。それはあなたのような人が、ただ一人、気おくれしながら絶望して、剃刀に手をのばさなければならなくなるのとおなじように、まちがっていることです。わたしの場合の不幸は、より物質的で道徳的であり、あなたの場合は、より精神的かもしれませんーーでも道はおんなじです。わたしには、あなたがフォックストロットをこわがったり、バーやダンスホールをきらったり、ジャズ音楽や似たようなありとあらゆるがらくたに対して反抗したりするのが、わからないとでも思いますか? わたしには、わかりすぎるくらいにわかっているのです。政治に対するあなたの嫌悪も、政党や新聞の、おしゃべりや無責任なゼスチュアに対するあなたの悲しみも、今度の戦争や、これからくる戦争に対して、それからまた今時の人が考えたり読んだり、建設したり、音楽をやったり、お祭りを祝ったり、教養をつんだりするそのやり方に対して、あなたの抱く絶望も、みんなよくわたしにはわかります。正しいのはあなたなんです。荒野の狼さん、あなたが絶対に正しいのです。でも、それでもあなたは没落しなければなりません。この単純で、安逸で、ほんのわずかなものに満足している今日の世界に対して、あなたはあまりにも要求が多すぎ、欲求が強すぎます。世界はあなたを吐き出してしまいます。あなたはこの世界のためには、ひとまわり容積が大きすぎます。今の時代に生きてゆこうと望み、生きてゆくことを喜びたいと思うなら、あなたやわたしのような人間になってはならないのです。雑音のかわりに音楽を、楽しみごとのかわりに心からの喜びを、おかねのかわりに魂を、盲目的な仕事のかわりに真実の仕事を、たわむれのかわりにほんとうの情熱を要求する人にとっては、この小ぎれいな世界は、故郷ではないのです……」(pp458-460)

発表当初、社会を離れて生きる無職の中年男性を主人公にした「荒野の狼」は大きな物議を醸し出したが、マンはこの作品を擁護した。マンの掲げる市民的勤勉精神から大きくかけ離れたかのような荒野の狼は、しかし、文豪トーマス・マンの先を歩いていたのである。げんにマンは、第一次大戦勃発前、保守的な論陣をはっていたが、状況の悪化に伴い、ヘッセやロランと同じく平和主義に基づいて議論するようになる。市民の勤勉は、社会全体の戦争突入と歩調を同じくしたのである。

ヘッセの中に息づく孤独者の精神には、マンが見いだしたように、明確な社会批判の視点が同居している。ただ闇雲に大人を嫌い、消費社会が提供する快楽に溺れ、社会改革に進まぬ孤独者と、ヘッセの孤独は大きく異なる。

ヘルミーネはハリーのことを、頭ばかりよくて、生活の細かいことには不器用な、幼稚な人物と批評する。ハリーは荒野の狼と定義した自我を改めて見直す。

「毎日私のなかには、古い魂とならんでなおいくつかの新しい魂が姿をあらわし、いろいろと要求をしたり、さわいでまわったりした。それで私には、目の前にすえられた一枚の絵のように、これまで自分の考えていた人格というものの妄想が、はっきりと見えてくるのだった。偶然自分が秀でていた二、三の能力や修練ばかりを認めて、一人のハリーの人物像を描きだし、一人のハリーの生活を生きてきたわけだが、そのハリーとは要するに、非常に繊細に教育された、文学と音楽と哲学の専門家であるにすぎなかったーーそのほか私という人間の残りの部分、つまりそのほか全部の、混沌とした能力や衝動や努力の集まりを、私は荷厄介なものに感じとって、荒野の狼という名前をつけていたのだった」(p438)

ヘルミーネの話は続く。

「時代と世界と、おかねと権力は、ちっぽけで浅薄な人たちのもので、そのほかのほんとうの人間たちには、なあんにもないのよ。死のほかにはね」
「そのほかはなんにもないのかね」
「いいえ、あるわ、永遠が」
「名を残すこと、つまり後世での名声のことかね?」
「いいえ、狼さん。名声じゃないわーー名声なんかに価値があるでしょうか? それに、どこからみてもほんとうの人間だった人たちが、みんな有名になったり、後世に名を知られていたりするとでも、思っているの?」
「いや、もちろん、そんなことはない」
「そうでしょう? だから名声なんかのことじゃあないわ。名声というのはただ、教養のためにあるものよ。学校の先生のためのものだわ。名声なんかじゃない、ぜんぜんちがうわ! わたしが永遠という名前で呼んだのはーー信心ぶかい人たちは、それを神の国といってるわ。わたしはこんなふうに思っているの。わたしたち人間は、つまりわたしたちのように他人より要求が多くて、あこがれも容積も多すぎる人間が、なんとかそれでも生きてゆこうと思えば、この世界の空気のほかに、なお別な空気を吸えなければならならないし、こんな時代のほかに、なお永遠というものがなくちゃならないはずなんだわ。(…)一つ一つの真実な行為の姿、一つ一つの真実な感情の力は、たとえだれにもそれが知られずに、だれからも見られず、書き記されず、後世のために残されていなくても、それはそのまま永遠の国のものなのよ。永遠には後世なんかないんだわ、あるのはただ、今の世だけよ」(p460)

名声は教養のためにあると書いたということは、ヘッセは教養小説を否定している。学校社会のうっ屈を描いた「車輪の下」は反教養小説である。教養の修得を馬鹿にして向う先は、真正な社会批判、社会に埋もれず生きることとなる。

ハリーは地下のイニシエーションに参加して、ばらばらの自我を一度捨て去って、統一するよう求められる。モーツアルトはハリーに人生の笑い、フモールを理解するよう教えさとす。結局遊びのイニシエーションは失敗するのだが、ハリーは人生の無意味さ、心のなかの地獄を何度でも体験しようと決意して、物語が終わる。

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