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書評:マン『魔の山』

この記事の最終更新日:2006年4月23日

(以下の書評は2005年11月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています。)

魔の山(上)
魔の山 (上)
トーマス・マン

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トーマス・マン「魔の山」高橋義孝訳、新潮文庫、昭和44年発行。マンは1913年、38歳からこの作品の創作にとりかかった。発表は1924年11月28日、49歳の時である。最後のドイツ教養小説と言われるこの作品を解説する。

ハムブルク生まれの青年ハンス・カストルプは、スイス高原にあるサナトリウムで療養中のいとこヨーアヒムを見舞いに行く。三週間の滞在予定がのはずが、カストルプ自身まで療養者となり、ついにはヨーアヒムが退院しても療養所に残ることになる。

サナトリウムにいる患者たちとカストルプは交流していく。彼のことをエンジニアと呼ぶイタリア生まれの人文主義者、セテ厶ブリーニは彼に教育的言葉を多数与える。セテ厶ブリーニは理性を信じる啓蒙主義者であり、人間の尊厳と美は、人文主義者によってのみ伝承されていると考えている。彼にとって政治と文学と人間愛は等しいものである。

単に人文主義のみならず、人間愛一般が、つまり人間の尊厳、人間尊重、人間の自己敬愛という古くからの諸観念は、言葉や文学と密接不可分の関係にあるのである。(…)だから政治もまた文学に関係している、というか、むしろ政治は、この結合、人間愛と文学との同盟から生れるのである。(…)美しく書くとは、美しく考えるということとほとんど同じことであって、美しい考えという段階から美しい行為という段階までは、あとほんの一歩である。あらゆる人間教育やその道徳的完成は、文学の精神、つまり人間尊重の精神から生れるが、これはまた同時に人間愛と政治との精神である。」(上pp272-273)

カストルプはセテ厶ブリーニの極度に理想化、絶対化された人文主義を最初はあやしみ、次第に尊び、別れる前には批判する。セテ厶ブリーニが療養所を去った後、カストルプは最初のうち、教養がないと思っていたロシア人女性の人妻ショーシャに恋をするが、ショーシャもまたカストルプを残して高地を去る。

下巻、カストルプは下の治療施設に移ったセテ厶ブリーニと再会する。セテ厶ブリーニは、ナフタという中世的宗教主義者と一緒に過ごしており、二人の論戦がカストルプの精神を啓発する。セテ厶ブリーニは理性を信じる啓蒙家であり、わかりやすい性格類型なのだが、カトリックの教養から遠い私たち日本人から見れば、人文主義者のセテ厶ブリーニと論戦するナフタの論理は異様である。

ナフタとの思想的接触により、高地での療養生活を瞑想、隠遁状態と考え、それが平地の生活よりはるかに自分を進歩させてくれたと言うハンス・カストルプに、セテ厶ブリーニは反論する。

「自分を知り、自分にふさわしい考え方をすべきだとあなたになんども申しあげたじゃありませんか。ヨーロッパ人の本務は、どんな提唱があろうとも、理性、分析、行為、そして進歩ですーー修道士の怠惰なベッドではありません」
 ナフタは聞いていた。彼はうしろに向けていった。
「修道士のとはなんです。ヨーロッパの文化があるのは修道士のおかげですよ。ドイツ、フランス、イタリアが原始林や原始の沼沢に覆われていないで、私たちに穀物と果実とぶどうを恵んでくれるのは、彼らのおかげです。修道士は、あなた、実によく働きました……」
「いやはや。それでどうなんです」
「いえ、そうです。宗教家の労働は、自己目的つまり麻酔手段ではなく、また世界を進歩させたり、経済的利益を獲得したりする点にその意義があるわけでもありませんでした。それは純粋な禁欲的修行、贖罪苦行の一部、救済手段でした。それは人間を肉欲から庇護し、官能を抑圧するのに力を貸しました。したがってそれはーー断言するのを許していただきたいーー完全に非社会的な性格を帯びていました。それはいささかの曇りもない宗教的エゴイズムだったのです」
(以下下巻より、p60)

ナフタとセテムブリーニの愛すべき論戦をしばらく見ていこう。

セテムブリーニが彼に説教をはじめないうちに、ナフタは、中世に見られた愛徳行為が敬虔さのゆえに羽目をはずした実例、病人看護における狂信と陶酔の驚くべき実例を話はじめた。王女たちは癩患者の悪臭を放つ傷口に接吻してまさに自らすすんで癩病に感染し、わが身に招きよせた潰瘍を彼女たちの薔薇と呼び、膿の出る患者を洗った水を飲んで、これほど美味なものを口にしたことがないといったというのである。
 セテムブリーニは嘔吐をもよおさずにいられないという様子をした。この情景と観念にまつわる生理的な不快感よりも、と彼はいった、吐き気をさそうのはむしろ、活動的な人間愛のこのような解釈に示された奇怪な精神錯乱である。そして彼は居ずまいを正し、朗らかな威厳をとりもどして、近代の進歩した博愛福祉の諸形態や伝染病防止の勝利について語り、衛生、社会改良、および医学の功績をあのおぞましい行為に対置させた。
 しかし、それらの市民的には尊敬すべき事象も、とナフタは答えた、いま自分が引き合いに出した中世のひとびとにはあまり役にたたなかっただろう、それも両者にとって、つまり病気で悲惨なひとびとにとっても、また、同情からというよりもむしろ自分の魂の救いのために、彼らに慈善を施した健康で幸福なひとびとにとっても。社会改革の成功によって、後者は神に是認されるための最も大切な手段を失い、前者はその神聖な後ろだてを奪われてしまうであろうから。だから貧困と病気を絶やさないことが双方の利益にかなっていたのであり、純粋に宗教的な観点を堅持しうるかぎりは、こういう考え方も可能である。
 汚らわしい考え方だ、とセテムブリーニが宣言した、(…)健康なひとが病人に向ける同情、自分がそういう苦しみを課された場合、どうそれに耐えていいかわからないがゆえに、畏敬にまで高められる感情ーーそういう同情ははなはだしく誇張されていて、病人にまったくふさわしくなく、見当違いと想像違いの結果である、健康人が自分の体験の仕方を病人に転嫁し、病人とはいわば病人の苦しみを負わなければならない健康なひとだと考えるかぎりはーーこれはまったくの誤りなのである。病人はやはり病人であって、病人としての性質と変質した感受性をそなえている。病気は病人を調整して、互いに折り合っていけるようにする。知覚の減退・脱落・麻痺の恩恵、精神的にも道徳的にも病気に順応させ、病苦を緩和させる自然の対処があるのに、健康人は無邪気にもそういうものを考慮することを忘れている。最もいい例はここの上の肺病患者のやから、その軽薄さ、無知、放縦、健康になろうとする善き意志の欠如である。要するに、同情的な敬意を寄せている健康人が、自分自身病気になり、もはや健康でなくなってみさえすれば、病気であることはひとつの独立した状態ではあるが、決して名誉ある状態でないこと、自分はそれをあまり真面目に考えすぎていたということを悟るであろう。
」(pp175-176)

ガンやエイズや鳥インフルエンザにセテムブリーニの考えが当てはまるかは検討の余地があるが、まだまだ論戦は続く。

ナフタは、美徳と健康は実際に宗教的状態ではないっと確言した。宗教が理性と道徳になんのかかわりもないことが明らかにされるならば、と彼はいった、それだけでも大いに得るところがある。なぜなら、と彼は付け加えた、宗教は生となんの関係ももたないからである。生は一部は認識論に、一部は道徳の領域に属するもろもろの条件と基礎にもとづいている。認識論に属するそれは時間、空間、因果律と呼ばれ、道徳の領域にあるそれは倫理と理性と呼ばれる。これらすべては宗教の本質に疎遠であり無頓着であるのみならず、敵対的でさえある。なぜなら、それらこそは生を形成するものであり、いわゆる健康であるから。すなわち、それは最大の俗物性と根っからの小市民性であり、宗教の世界はそれの絶対的な反対物、しかも絶対的に天才的な反対物として規定されるものだからである。もっとも、彼ナフタは生の領域に天才の可能性がまったくないと宣告するつもりはない。そのあまりにも見事な愚直に異を唱えるべくもない生の市民性というものがあり、俗物の尊厳というものがあるからであって、それが両手を背にし、胸を突きだして立ちはだかる威厳のうちには、それが非宗教性の具現を意味すると考えるかぎり、尊敬するに値するものがあるからである。」(p195)

社会道徳に属する俗物根性と小市民性を非難するナフタのこの意見を聞いて、カストルプが道徳擁護の発言する。

そこで彼は思うのだが、人生と宗教との差異、あるいは、ナフタ氏がどうしてもお望みなら、対立といってもいいが、これは時間と永遠の対立に帰着するであろう。なぜなら、進歩は時間の中にのみあって、永遠の中に進歩はなく、政治も雄弁もないからである。そこでは、ひとはいわば神に頭をよりかからせて、眼を閉じる。そしてこれが宗教と道徳の差異である」(p195)

この後セテムブリーニはナフタを悪魔と呼ぶ。するとナフタは、悪魔を非難する世界像は間違いである、神と悪魔は一体となって宗教的原理を表現しており、両者一致して生の市民性、倫理、理性、美徳に対立していると反論する。これを聞いてセテムブリーニは、善悪をごちゃまぜにしたナフタの思想はあらゆる価値、個人の独立をも否定しており、すべていっしょくたの無秩序な共同体を標榜していると批判する。するとナフタは、道義的に無秩序な共同体のみに真の個人主義は存在するのだと言い返す。

セテムブリーニ氏の道義とは、いったい何であり、何を欲するのであろう。それは生に結びついて、有用なという以外の何ものでもなく、憐れむべきほどに非英雄的である。それは人が老いて、幸福になり、富んで健康的になるためにあり、それでおしまいだ。この理性と労働の俗物根性が氏にとっては倫理なのである。それに反して自分がそういう倫理を、くり返しみじめな生の市民性と呼ぶことをお許しいただきたい。」(pp195-196)

セテムブリーニとナフタは、市民的人文主義と貴族的神秘主義の象徴的擬人化であり、対立が誇張されて描かれているが、二人の徹底的な思想開陳、批判のし合いを聞いていると、宗教と科学の融和とか、盆と正月とクリスマスを一緒にやるとかは、議論を放棄した妥協のように思えてしまう。

ナフタは病気を人間の本質だという。

人間は本質的に病気である。病気であるという、このことこそ人間をして人間たらしめるのである。そして人間を健康にし、自然と睦み合うことをっすめ、「自然に返ること」(人間は一度も自然であったことはないのに)をすすめようとする者、今日、復古主義者、生食主義者、屋外生活礼賛者、日光浴推進者などなどの、予言者づらでうろついているものすべて、したがってあらゆる種類のルソーは、人間の非人間化と動物化以外の何ものをも追求していないのだ……人間性? 高貴? 精神こそは人間を、自然から高度に解き放たれたこの存在、高度に自然との対立を自覚しているこの存在を、その他の全有機生命から区別するものなのである。したがって精神に、病気に、人間の尊厳とその高貴が存在するのである。人間は一言でいえば、病気であればあるほど、ますます高度に人間であり、病気の守護神は健康のそれよりもより人間的である。人間の愛好者を演ずるどなたかが、人間性のこのような基本的真理に眼を閉じるのは不審である。セテムブリーニ氏は進歩を口ぐせにしている。しかしその進歩は、そんなものが存在すればの話だが、自己の存在をただ病気にのみ、すなわち天才にのみ負っているものだ。ーー天才とはまさしく病気にほかならない。」(p199)

カストルプは次第にナフタを狂信家と考えるようになる。

カストルプはナフタとセテムブリーニの議論を聞くことにより教育的効果を得る。

セテムブリーニ氏もたしかに熱心な教育家である。しかし禁欲的で没我的な客観性という点で、彼の教育原理はナフタのそれととても太刀うちできなかった。絶対命令。鉄の拘束。強圧。服従。恐怖。それはそれで結構な原理かもしれない。しかし、個人の批判の尊厳をそれはほとんど顧慮しない。それは敬虔で血を恐れぬまでに厳格なプロイセンのフリードリヒとスペインのロヨラの操典である。ここでただひとつ問題になるのは、つまりどうしてナフタは、血なまぐさい絶対主義だけはこれを信ずるというようになったかということである、純粋認識、無前提の研究、要するに、真理、客観的科学的真理を信じないのに。この客観的科学的真理を追求するということが、ロドヴィコ・セテムブリーニにとってはすべての人倫の最高法則を意味していた。その点セテムブリーニ氏は敬虔で厳格であるが、ナフタは真理をふたたび人間との連関に帰し、真理とは人間を益するものだと宣言する点で、だらしなく放縦である。真理をこのように人間の利害に従属させることこそ、生の市民性と功利的俗物根性ではないだろうか。それは厳密にいって鉄の客観性でない。そこにはレオ・ナフタが認めようとするよりもさらに多くの自由と主観がある、ーーむろんそれは、セテムブリーニ氏の教訓、自由は人間愛の法則だという教訓と実によく似たあり方で実は「政治」だったのであるが。セテムブリーニの教訓は明らかに、人間に自由を結びつけること、ナフタが真理を結びつけたと同じように、それを人間につけることを意味していた。」(下巻pp202-203)

小説の語り手によるまとめをさらにまとめてみる。ナフタは生と進歩を肯定する人文科学を俗物根性と罵倒し、神の絶対的真理を尊んでいる。人文主義者のセテムブリーニは人間に関係ない客観的科学的真理を追求することを人倫の最高法則とみなしている。ナフタは科学研究を罵倒しているが、神の真理を人間と連関させているから、実は真理を人間の生活に従属させている俗物である。真理を人間生活から隔離して研究するセテムブリーニは、真理のかわりに自由を人間の生活と結びつける。古代の哲学や宗教倫理は、学問、真理の認識を、全てより善い人間生活と結びつけて考えていたが、セテムブリーニは人間生活に関係ない部分まで真理の認識をすすめる近代科学の徒である。神の領域まで認識することが近代人たるセテムブリーニの望みである。人間にははかりしれないこと、生活の善性と関係ないことまで解明しようと努力することが積極的に評価されるようになってから、はじめて近代が成立するのだ。かといって近代人は生活に愛を失ったわけではない、個人の生活においては自由と愛を求めるのである。
ハンス・カストルプは二人の教えを超えた、自分の哲学を確立しようとする。

ふたりとも単なる口舌の徒にすぎない。一方は淫蕩で悪意があり、もう一方はいつも理性の角笛を吹くばかりで、一瞬気違いをさえ正気に立ち返らせると自惚れているが、これはなんとも味気ないことではないか。たしかに俗物根性とただの倫理と、非宗教にすぎない。だが己は小さなナフタの側にも味方すまい。神と悪魔、善と悪のごったまぜにすぎず、個人がまっさかさまに堕落せんがためにあって、普遍世界への神秘的な沈没を目指す彼の宗教には与しまい。ふたりの教育家、彼らの論争と対立そのものが、ただのごったまぜにすぎず、あんな入り乱れた戦いのどよめきには、ほんの少しでも頭のなかが自由で心が敬虔なひとなら、決して耳を聾されることはない。彼らのいわゆる貴族性の問題、高貴ということ、死と生ー病気と健康ー精神と自然、これははたして矛盾するものなのだろうか? 己は問う、それが問題だろうかと。いや問題ではない、高貴の問題も問題ではないのだ。死の放逸は生のなかにあり、それなくしては生が生でなくなるだろう。そしてその中間にこそ神の子たる人間の立場があるのだ、ーー放逸と理性のただなかに、ーーちょうど人間の国家も、神秘的な共同体と吹けば飛ぶような個体とのあいだにあるように。(…)己は善良でありたい。己は己の思考に対する支配権を死に譲るまい。そこにこそ善意と人間愛があり、そのほかのどこかにあるといったものでもないのだから。」(pp247-248)

カストルプは対立物を生み出し続ける人間の思考に尊厳を置く。自己を確立しようとした彼は、この後もナフタとセテムブリーニの論争を聴き続ける、対立物を聴くことが役目であるかのように。セテムブリーニの永遠に記憶したい文学的精神の語りを聴こう。

文学的精神とは精神そのものであり、分析と形式との結合の奇蹟である。この精神こそあらゆる人間的なるものに対する理解を覚醒せしめ、愚味なる価値判断や信念などの力を弱めて解体させ、人類の教化、醇化、向上をもたらすのである。文学的精神はきわめて高度の倫理的洗練と道徳的感受性を創造することによって、感情に溺れるのではなく逆に懐疑と正義と寛容の精神を養うのである。文学の浄化作用と醇化作用、認識と言葉とによる情熱の鎮静、理解と宥恕と愛とへ導く道としての文学、言語の救済する力、人間精神一般のもっとも高貴な表現としての文学精神、完全な人間及び聖者としての文学者ーーこういう輝かしい音調でセテムブリーニ氏の弁護的頌歌は続けられていった」(p299)

(…ナフタの反論)「セテムブリーニ氏が声をふるわせて独唱された奇蹟の結合なるものは、要するにいんちきな手品にほかならない。なぜなら、文学の精神は形式を探究と分類との原理に結びつけると称するが、その形式というのは見かけ倒しの欺瞞的な形式にすぎず、真の充実した自然の形式ではなく、生命そのものの形式だなどとはもってのほかだ。いわゆる人間の改善家なるものは二言目には、純化、聖化を云々するが、その目論むところは実は生命の去勢と貧血化なのである。いや、それどころか、精神とか熱烈な理論とかいうものは、生命を害うものであり、情熱を減しようとする者はすなわち虚無を欲するのである。つまり、純粋の虚無を欲するのである。」(pp299-300)

カストルプはいとこのヨーアヒムのことが気になって二人の話に耳を貸さない。戦争に行ったヨーアヒムは結局死ぬが、カストルプは療養所に残り続ける。進展しないカストルプを小説の語り手が非難して、時間論を語る。

中世の学者たちは、時間というものは錯覚であって、時間が因果関係という形で連続的に経過するように思われるのは、私たちの感覚のある種の仕組みのもたらす結果にすぎず、事物の真の姿は不動の存在だと説いた。こういう考えを最初にいだいた学者は、永遠のかすかな苦味を唇に味わいながら海辺を散歩したひとではなかったであろうか。とにかく、くり返していうが、私たちがいまいったことは、休暇中にだけ許される妄想であり、閑暇の空想であって、道徳的な精神の持ち主はこういう空想にはたちまち飽いてしまうであろう。それは壮健な人間が温かい砂の中に埋まって休むことにすぐ飽いてしまうのと同じである。だいたい、人間の認識の手段や形式に批判を加え、その明々白々な妥当性に疑いをいだくということは、理性の限界、それを踏み越えれば当然理性本来の使命をないがしろにしたという非難をこうむらざるをえない限界を理性に向って教え示すという意味があるというのならばとにかく、もしそこにそれ以外の意味が含まれているとするならば、そのような批判を企て疑問をいだくというようなことは、不条理で破廉恥な裏切りともいうべきであろう。(…)そして私たちは、批判原理の意味、目的、目標はただひとつ、つまり、義務の観念と生の命令以外にはありえず、またあってはならないと明言することによって、私たちの愛するヨーアヒムを追憶して最善の敬意を表明する。そうだ、人生に法則を与える叡知は、理性に対して限界を示し、まさにその限界の上に生の旗印をおしたて、その旗の下で生の勤務に服することを、私たち人間が負っている生の兵士の義務だと宣言している。ハンス・カストルプは憂鬱症の饒舌家ベーレンスがいとこの軍隊的「猛勉強」と呼んだところのものが、あの宿命的な結末を遂げるのを目撃したが、私たちはこれがハンス・カストルプ青年の、いまは悪習となった時間浪費をますます悪化させ、あの始末の悪い永遠との戯れをつのらせたものと考えて、彼の釈明を聞いてやるべきであろうか」(pp340-341)

近代の人文主義者セテムブリーニ、中世の宗教家ナフタに続き、古代の生命讃美者、ベーベルコルンがカストルプの前に現れる。三名の論戦を聞きながら、カストルプは結局七年間高地に滞在した。ようやく療養所を出た彼は、戦争に兵士として参加する。陰うつな戦場の描写でこの教養小説は終わる。

この教養小説は何だったのか。主人公カストルプは山の療養所で七年間の時間を過ごす。それは成長過程のようでいて、市民的勤勉からしたら時間のむだ遣い、停滞である。マンは永遠と決別し、時間の進展を擁護した。無為に過ごしてはただ過ぎ去りゆくだけの時間を濃密にするため、市民的勤勉の精神で、厳密な事物の描写が続けられてゆく。小説の進展はものすごく遅く、永遠に物語が停滞するかのようなのだが、実はものすごく濃密な時間を読者と作者は経験しているのである。物語の語り方については、小説冒頭のまえがきにも示されている。

私たちはこの物語を詳しく話すことにしよう、綿密かつ徹底的に。ーーというのも、物語のおもしろさや退屈さが、その物語の必要とする空間や時間によって左右されたことがはたしてあっただろうか。むしろ、私たちは、綿密すぎるというそしりをも恐れずに、徹底的なものこそほんとうにおもしろいものだという考えに賛成したい。というわけで、作者はハンスの物語を手短かに話し終えるというわけにはいかないのである。一週七日では足りないだろうし、七ヶ月でも十分ではあるまい。いちばんいいのは、話し手がこの物語に係わり合っている間に、どれほど地上の時間が経過するか、その予定を立てないことである。いくらなんでも、七年とはかかるまい。これだけのまえおきをしておいて、では、話しはじめるとしよう」(上巻p10)

ハンス・カストルプは七日の予定が七年滞在した。マンがこの小説を書き終えるのには十一年もかかっている。戦争に突入する物語に救いはないが、マンは死と犠牲と神の前の平等の実現たる革命的共同体を讃美するナフタに組しない。人間愛と生の尊厳を守り通すことが、陰うつで悲惨な大戦を前にした作家たるトーマス・マンの希望である。



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