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(以下の書評は2005年11月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています。)
トオマス・マン(1875-1955)作「ヴェニスに死す」実吉捷郎訳。岩波文庫、1939年。原著は1913年、作者38歳のときである。
初老の作家アッシェンバッハが主人公である。世間的名声を確立しているアッシェンバッハの人生態度を読んでみよう。
「こういうわけで、彼はその才能から負わされたいろいろな使命を、弱々しい肩にになって、遠い道を行かねばならなかったので、大いに規律を必要とした。(…)四十、五十になっても、またほかの人たちが浪費したり、夢想したり、大きな計画の遂行を平気でのばしたりするような年齢の時にもすでに、彼は朝早く冷水を胸と背に浴びることで、その日課をはじめた。それから銀の燭台に立てた二本のろうそくを、原稿の頭のところにすえたまま、眠りのあいだにたくわえた力を、真底から良心的な朝のニ時間または三時間にわたって、芸術へ供物として捧げたのである。(…)いや、それこそは本来、この作家の倫理性の勝利を意味するものだった。じつはそれらの作品は、むしろ毎日のこまかい仕事のうちに、何百という一つ一つの霊感をもとにして、偉大な形にまで積み重ねられたもので、それらがかくもはっきりと、しかもあらゆる点ですぐれているのは、その作者が、彼の故郷の州を征服したのと似たような、かたい意志とねばり強さとで、幾年ものあいだ、全然同一の作品の緊張のもとにこらえとおし、本来の創作に、もっぱら彼の最も強力な、最も尊厳な時をあてたからにすぎぬのである」(pp21-22)
アッシェンバッハの生活態度は、作者であるマン自身の反映と読みとってもいい。旅行先のヴェニスで、アッシェンバッハはギリシア的美しさにあふれる少年に恋する。作家はソクラテスが愛する弟子のファイドロスに美について教えたように、少年に自身の哲学を語る。
「美というものは、わたしのファイドロスよ、ただ一つ愛に値すると同時に、目に見えるものなのだ。よくおぼえておくがいい。美とは、われわれが感覚的に受けとり得る、感覚的にたえ得る、精神的なものの唯一の形態なのだ。それとも、もしそのほかの神的なもの、理性と徳性と真理が、われわれに感覚的に姿を見せようとしたら、われわれはどうなるだろう。むかしセメエレがゼウスを見てそうなったように、われわれは愛情のために消え失せ、燃えつくしてしまわないだろうか。だから美は、感じる者が精神へゆく道なのだ。――ただ道にすぎない。ほんの手段なのだよ、小さいファイドロス。……それから彼は、この狡猾な求愛者は、最も微妙なことを述べた。つまり、愛する者は愛せられる者よりも一層神に近い、なぜなら前者のなかに神があるが、後者のなかにはないからだ――という、かつて考えられたうちでおそらく最も繊細な、最も冷笑的な思想、愛慕のもつあらゆるずるさと最もひそかな歓楽との源泉となっている、あの思想をのべたのである」(pp92-93)
この訳者は「最も微妙なことを述べた」と書いたすぐ後に「あの思想をのべたのである」と書いている。「述べた」と「のべたのである」では文末の形が違うから、あえて漢字とひらがなを使い分けたのかもしれないが、長文の自作小説を推敲している時私は、「行く」という言葉が地の文で「ゆく」と「いく」と「行く」の3種類に書きわけられているのを発見して、表現を統一しようか、文脈に合わせてわけたままにしようかと悩んだ。漢字かな表記を統一しないと新人賞の採点が悪くなるのではと神経質的に危惧していたが、岩波文庫でこうなのだから、神経症的な悩みは抱えなくても大丈夫なようである。ただ、岩波文庫のアリストテレス「ニコスマス倫理学」で以前、文章の単純な書き間違いを発見しているから、岩波という権威を盲信することは控えよう。さて、このような表現についての思索はマンの本文の前ではどうでもいい。いや、マンこそはこのような些細な表現の問題についても徹底的に真剣に取り組んだ芸術家だったから、やはり一文一語にこだわって読んでいく必要がある。
マンは良心的な規律をもって、教育的意図に基づいて芸術制作するのをよしとするが、芸術家気質の中に放蕩、弱さが入りこんでくる現実を書く。芸術が美を扱っているかぎり、利己的で欲望まみれのエロスが芸術家の良心に入りこんでくることは避けられない。芸術が生み出す美は、人を精神的に教育するが、放蕩の原因ともなりうる。これこそマンが悩んだ、芸術が必然的に生み出す問題である。そのような問題は現代的意義がないという意見もあろう。現代では、芸術を含めた文化が人種差別、民族差別の道具となっていたことがわかった。放蕩を過度に批判するあり方も性の自由を尊ぶ現代にふさわしくない。ただ、マンは我々が想像もつかないほど理想高い精神で小説を毎日書いていた。極度の理想が現実に直面した意見に耳を傾けよう。
「なぜなら美というものは、ファイドロスよ、よくおぼえておくがいい――美というものだけが、神々しいと同時に目に見えるものなのだ。そういうわけだから、美は感覚的な者のゆく道であるし、小さいファイドロスよ、芸術家が精神へ行く道なのだ。そこで君はしかし、愛する友よ、精神的なものへゆくために感覚を通らねばならぬ人間が、一度でも英知と真の人間の品位を獲得することができると思うかね。それともきみはむしろ(わたしはその決定をきみの自由にまかせるが)これは危険でかつ愛すべき道であり、真に邪道であり、罪の道であって、必ず人を邪路にみちびくものだと思うかね。なぜといって、これはぜひ言っておかねばならぬが、われわれ詩人たちが美の道を進んでゆけば、必ずエロスの神が道づれになって、得々と道案内をするにきまっているのだ。じっさいわれわれは、たとえわれわれ一流の英雄であるにしても、また規律正しい戦士であるにしても、やはりそれでも女のようなところがある。というのは、われわれを高めるものは情熱であり、われわれの思慕は常に恋愛ならざるを得ないからだ。――これがわれわれの喜びでもあり、恥でもある。われわれ詩人が聡明でも尊厳でもあり得ないということが、これできみにもわかっただろう。われわれが必ず邪路にふみ入らねばならぬし、必ず常に放埓で、感情の冒険家たらざるを得ないということが、わかっただろう。われわれの文体の優秀な調和は虚偽と愚行で、われわれの名声と輝かしい地位は茶番で、われわれに対する大衆の信頼はこの上なく滑稽で、芸術による国民教育、青年教育は、向こう見ずな禁ずべき企図なのだ。なぜなら、奈落へ向かっての是正しがたい自然の傾向を生みつけられている者に、一体どうして教育者がつとまるべきだろう。われわれは奈落を否定したいし、品位をえたいとは思うのだが、しかしわれわれがどう身を転じようとも、奈落はわれわれをひきつけるのだ。そこでわれわれはまず大体、分解させる認識というものと絶縁する。なぜと言って認識には、ファイドロスよ、なんの品位もおごそかさもないからだ。それはものを知り、理解し、許すもので、品位も形態もない。それは奈落に共感をもつ。それはまさに奈落なのだ。この認識というものを、われわれはそれゆえ断乎として排撃する。そして今後われわれの努力は、ひとえに美をーー言いかえれば簡素と偉大と新しいおごそかさとを、第二の無私とそして形態とをめざすのだ。ところが形態と無私は、ファイドロスよ、陶酔と欲情へつれてゆく。けだかい人を、彼自身美しいおごそかさが恥ずべきものとして排撃する、あのおそるべき感情の罪悪へつれてゆくかもしれぬ。奈落へつれてゆくのだ。これさえも奈落へ。――こういうものが、たしかに、われわれ詩人をそこへつれてゆくのだ。われわれにはまいあがる力はなくて、ふみまよう力だけしかないからだ。」(pp.146-148)
アッシェンバッハの芸術観はきわめて悲観的である。アッシェンバッハはこの後ヴェニスで死に、小説は終わる。
ソクラテスの「饗宴」を読むと、ソクラテスは恋する人一人の肉体に一時だけ見出されてやがては朽ち果てる美を超えて、永遠に変わらない、普遍的に存在する美のイデアを観照することが哲学だと述べている。マンがアッシェンバッハに託して語る芸術も、外面的な美を通して精神的な美へと向かうことを目指している。精神の美へとたどりつけず、感覚的な美にとどまったまま、奈落の底に堕落していくというのが、ソクラテスとマンの意見の相違であり、もしかしたら哲学と芸術の違いかもしれない。哲学は美しいもの以外も観察するが、芸術は美しいものを中心に観察するから、違いが生じるのだろう。面白いのは、ソクラテスもマンも女性でなく、少年の美について語っているところである。
ギリシア人は聖書の教えがなかったから、同性愛を楽しんだ。これは現代から見て、キリスト教の中世と違い、自由で人道的なように見えるが、ギリシア人は成人男性にのみ参政権を認め、女性と奴隷は政治から隔離していたからこのような結果となったのだろう。差別の対象に美を見出せず、自分と対等の美しい少年に美を見出すのは当然と言えば当然だ。ギリシア哲学は精神と知の営みと美を同時に尊ぶ。肉体美も神々の彫像として結実しているのに、哲人たちは肉体愛、放蕩を極度に蔑視している。
キリスト教は歴史上放蕩をさんざん批判してきたが、イエスの福音それ自体には女性との接触を忌み嫌う言葉がそれほどない。対してパウロが書いた手紙には、女性を男性より低くおく意見がたくさん見られる。これは何故か。原始キリスト教がギリシア、ローマに布教する過程で、ギリシア哲学、新プラトン主義、ストア派的な肉体蔑視、女性差別の思想が流入してきたのではないかという定説がある。それでもユダヤ・キリスト教はギリシアと違い、偶像崇拝をとことん禁じた。外面的な美より、精神的な美を追い求める点はギリシア哲学と同じだが、それが神に似せた像の作成及び崇拝の禁止までいく。異民族の間での流浪を宿命づけられたユダヤ人は、他の民族と同化しないように、偶像崇拝を禁止した。かといって、自分たちの神を他民族と同じように物象化しなかった。かたちを持たない神を崇拝するという特異性を維持することで、放浪の年月を耐え忍ぼうとしたのだという文化人類学的解釈がある。その社会科学的解釈を聞けばそういうものかと納得はできるが、これは何故偶像崇拝が禁止されたかという疑問の哲学的、神学的答えにはなっていない。真理はないとするのが社会学だから、偶像崇拝の禁止は民族が生き残るための方便として解釈されるのみである。
精神を尊び、肉体を蔑視する思想を受け継ぐマンは、肉体美に恋することを奈落の底への堕落ととらえる。ソクラテスもキリストもそれを乗り越える精神美を説いたが、精神にのぼりきれないというのが「ヴェニスに死す」時点でのマンの意向である。偶像に恋するのはやめて、精神の美を追い求めればいいのにというのが率直な感想だが、当時のマンは社会に表明できない自身の同性愛的傾向にも悩んでいたと推測されるから、絶望的な結論に陥ってもしょうがなかったのだろう。この後、ヨーロッパをおおった二つの大戦の経験をもとに、マンは自身の芸術の中心に人間性をおき、芸術のパラドックスを克服していく。戦争の時代に人間としてどう生きていくかがマンの課題となった。これについては次回掲載予定「魔の山」の書評に続く。
川村二郎による解説を読んで、私は自分の心を慰めることができた。川村は昭和初年の頃、日本の文学は岩波から出版される翻訳文学と人気を争っており、日本の多くの小説家が翻訳の文体に決定的な影響を受けたと言う。
「ドイツ文学の翻訳が同時代の日本文学に影響を及ぼした例は、決して乏しくはない。代表的なのは何といっても鴎外。厳密にはドイツ文学とはいえないが、『即興詩人』の訳(戦前は岩波文庫赤帯だった)の文体は、樋口一葉や泉鏡花に一つの模範として受け取られたし、後代には石川淳が鴎外訳『諸国物語』の驚異について感嘆の言葉を連ねている。生田長江訳のニーチェは萩原朔太郎の後期の詩の調子を規定しているし、茅野蕭々訳のリルケは掘辰雄や立原道造など、いわゆる「四季」派の詩人たちの。文体を規定したとはいわぬまでも、気分を規定する力があった。」(p139)
この言葉を読んで、翻訳小説ばかり読んでいた自分のふがいなさが救われた。英語しか知らないが、イギリスやアメリカの文学にさほど興味がなく、かといってフランスもドイツもロシアも好きな私はどれか一つの言語に専攻を決められなかった。世界最高クラスの翻訳家たちの努力に頭が下がらないばかりである。
論議が四方八方に脱線したかの印象を与える書評となってしまったが、これは濃密なマンの文体の影響だと自己弁護したい。どんな些細なことでも執拗に書きまくるマンはリアリズムの作家でなく、ヌーヴォー・ロマンのさきがけであると思う。
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