世界の名著リバイバル!

World's Great Books Revival Project

ホーム > マルセル・プルースト >

『失われた時を求めて』の芸術観について

この記事の最終更新日:2006年4月23日

(以下の文章は2001年9月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています。)

マドレーヌの味、どこかで見た風景など、不意に襲ってくる印象は二重になって絶えず現前する。印象の上で現在に過去が重なり、対象に自己の無意識的記憶が重なっている。過去の情景を連想させる印象に接することでその情景が甦り、時を超越した幸福に浸れる。そのような印象は過去でも現在でもなく、つかの間の永遠なのだ。無から自分で作り出す未来的な幻想の産物でなく、向こうから来るものなので、これこそ真実である。時間の流れの外にあり、永遠の美をもたらす印象は、しかし捉えようとしないと、時間にまた呑み込まれ、すぐ消え去ってしまう。印象を固定化しようとしたら、印象を深く掘り下げ、苦悩し、自己の精神の内部におろす作業が必要である。芸術製作こそ失われてゆく時を凌駕する唯一の方法なのだ。

印象は外部にある対象と自己の精神によって成り立っているのに、外部の対象だけで印象の美しさが成り立っていると思うと、芸術の独身者となってしまう。彼らはいろいろな作品にすぐ熱中し、移り気で、多忙である。また、印象の内部にある自己の無意識的記憶の存在を認知し、それを探求することができないので、意識的にすぐ参照できる「記憶」として印象を管理してしまう。前述の通り、印象が呼び起こす過去はもはや過去の記憶そのものでなく、現在の情景と重なり時を超越した永遠の風景となるので、このような管理は印象の真髄には到達しない。彼らは、芸術作品を収集し、「思い出」を眺めて楽しむ好事家になったり、知性を働かせるばかりで自己の内部を省みない批評家になってしまい、芸術の製作、すなわち印象の永続化の作業を行う方向に向かえない。

精神の内部で行う芸術作品の創造はどうなるだろう。印象は過去と現在など、2つの美を視覚で捉え、それを作品に再現前させることで固定化、永続化が可能となる。これこそ真の人生であり、自己の内部の現実は芸術製作でしか伝達不可能なのだ。印象は命名すると実用化してしまう。紋切り型は1つのことしか表さず、政治や道徳の言語のような共通言語となる。だが「現実」の生活とはそのような屑なのだろうか。1対1関係の下にこそ現実があり、1つの語だけでは何の意味もない。「現実」は現実ではないのだ、我々は真の現実から離れた生活を送っている。我々は人生を通して真理の解明に向かわねばならない。真理は好みや安逸、虚栄心、ごまかし、思いつき、目先の快楽とは無縁だ。真理は好きなものなど尋ねないし、そんなものを考えることを禁ずる。すぎさりゆく印象を明晰化し、知性の等価物として示す必要がある。また、印象は人生のほんの一瞬にたまたま現われるだけだから、それだけの描写では印象の真髄を顕し尽くせない。〈時〉は決して見えないが、全ての肉、場に宿り、その上に自分を映し出し、あらゆるものを破壊してしまうし、創りだしもする。印象もまた時の変化の中にあってはじめて時を越えた永遠性を提示できるのだから、芸術製作において時を、時が賦与された人間と場を描ききることは補完としても必須である。これらの補完物は幾種類もの苦悩や、つかの間の快楽であろう、印象のみが永続する快楽なのだから。故に芸術は悲劇的になる。また、全ての人や場は私たちの人生を通して複雑に絡み合い、思い出を幾重にも交錯させてくれる。これらの総体を立体的に描ききることこそ芸術に求められるものであるから、長編の文学が最も適しているのではなかろうか。さらに、時の順番通りに記憶は形成されない。間を置いて、印象の到来とその理解と共に記憶は訪れるので、物語の順は錯綜することだろう。

作品は自分自身を読む手段となろう。作品に直接ふれて、生理的に反応してはいけない。退屈や不器用さから、どこまでも続くようにできているものをぶちこわしてはいけない。高度な注意力でみつけにくい印象を探し出し、自分自身の過去と照らし、己の過去を再創造する者こそ、作品を己の理解と愛の導き手として利用できるだろう。作者は自分独自の内的現実を作品に反映できるよう、自己の鏡となるのが望ましい、唯一の魂の交流のために。自分の栄光のために生きてはいけない。自己の精神に没頭し、仕事のために生きる義務がある。他人に気を遣って忙しさやくだらなさにはまりこんではいけない。最大の苦悩に向かって人は行為を注ぎ込むのだから、憎悪、嫉妬の強力さを作品製作という苦悩に向かわしめよ。

以上が主に第7篇『見出された時』における芸術観の表明を中心にした引用である(失われた時内部の引用のように私の記憶に基づいた引用なので正確ではない、そもそも19世紀的リアリズムを軽蔑する作品の評なのだから)。

おすすめ本

お厚いのがお好き?
お厚いのがお好き?
世界の名著を面白く、わかりやすく紹介したテレビ番組の書籍版です。

必読書150
必読書150

柄谷行人らによる人文教養書150冊の解説書です。

千年紀のベスト100作品を選ぶ
千年紀のベスト100作品を選ぶ

千年間に創られた芸術作品の中からベスト100を任意で選び、解説した本です。

教養のためのブックガイド
教養のブックガイド

東大教授陣による教養書ガイドです。

ニコスマス倫理学
ニコスマス倫理学
古典の中の古典。必読の名著です。

失われた時を求めて 第一篇 スワン家の方へ(1)
失われた時を求めて
20世紀文学の最高傑作の一つです。


↑このページの先頭に戻る
(c) Sidehill