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(以下の書評は2001年9月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています。)
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シェイクスピア/松岡和子訳『リア王』ちくま文庫、1997
俗にいう4大悲劇の3作目にあたる。世俗的評価の高い『ハムレット』よりもはるかに楽しめた。ハムレットやモナリザやピカソや運命は、そのジャンルの象徴となって流布しているため、感動がいささか薄れてしまうものだが、その不快な効果を差し引いても、ハムレットよりリア王の方が、悲劇として完成度が高いと思う。
傑作の要因を列挙する。まず、台詞の全てが巧みな詩となっている点があげられる。頭韻、押韻、音の響きによる統辞の連鎖、連想、言葉遊び、これらの仕掛けは翻訳によって消えてしまうがこの言語への感性なくしてシェイクスピアの偉大さは語れないのだろう。主語をぼかしたり、何通りか意味のとれるようにした曖昧な台詞が多数ある。受容者によって解釈は様々になる。この複雑性の増加が人それぞれの楽しみを喚起し、何回読んでも異なる味わいを引き出すことを可能にし、時代を超えて継承される結果をもたらすのだろう。
複雑性といえば登場人物の性格描写もきっちりと定義できない。「狂気と理性」が主題の一つとしてあげられるが、この定点が幾重にも代わる。理性の人が狂気の人となる。狂人となってみると世界全体が狂気に映り、自分は正常ではないかと思えてしまう。狂人なのに言葉たくみに真理をつくことができる者もいる。自ら進んで狂気を装う者もいる。理性者の敵役の目から見れば正常者は狂人と映る。そう思われている人から敵役を見れば彼らは狂人に映る。そして彼ら登場人物たちは一様に豊富な語彙を持ち、様々な警句、詩的言語、内面の葛藤を表出し、誰もが憎めない魅力を放出する。
そして、リア王と娘たちにまつわるメインプロットと、グロスターと息子たちにまつわるサブプロットの展開、それに付随して交互する場面転換のたくみさも見事だ。現代の視点からすれば、あまりに2つのプロットが美しく対位法を奏でているので、対立があからさますぎるように思えるのだが、異なるもの同士が重なり、溶け合い、最後に全てが絡まる様は、なぜここまでうまく織り合わせられるのかと感嘆してしまう。
台詞の情報量の豊富さ、解釈の多様性を可能にする意味の深さ、複雑さに加え、プロットの交替と場面転換が何度も起こるので、理解しようとしたら読むがのすこぶる遅くなる。このめまぐるしさを劇場で見てしまったら、深い思索に富んだ情報が矢継ぎ早に与えられるので、快くてしょうがないだろう。
登場人物で注意をひくのは、狂人となったリア王に付き添う道化だ。彼の台詞の面白さは、現代人にはあまり伝わってこない。おそらくエリザベス朝の観客は道化の振る舞いに爆笑していたのだろうが、脚本で読むかぎり、現代ではパロディー化、社会風刺の鋭さばかりが目につく。現象の特徴を捉え、それを茶化し、常識の矛盾を暴き、社会を諷刺する巧みさは、現代のコメディアンの何倍も上手だ。そう思っていたら、岸田理生による「リア」を昨日テレビでみることができた。そこで道化は体全体の動きでおかしみを表現していた。身体表現としてのおかしみは、言語表現によるおかしみよりもモードの退化が遅いと思われる。
芸術家たろうとする者は、シェイクスピアを読みこんで、構造化と詩的言語化の手腕を吸収すべきである。バロック劇のルールに縛られない自由な世界の方が、ルールにがんじがらめの古典悲劇作成より簡単そうだと素人は思うが、バロック的な豊富さを、混乱をまねかないようほどよく制御するには、古典劇の何倍もの理性が必要になるだろう。大量に溢れかえる濃密情報の編集作業に成功すれば、内側に圧倒的な情報量を誇り、何億通りもの魅力=解釈を引き出せる永遠の傑作を世に出せるだろうが。
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