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書評:トルストイ『芸術とは何か』

この記事の最終更新日:2006年4月23日

以下の書評は2005年9月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています)

河出書房トルストイ全集第17巻「芸術論・教育論」所収、中村融訳。

原著は1897年7月に完成したと言われている、文豪トルストイの宗教的芸術論。まず私が何故これにたどりついたかについて述べる。私は現代において、ドストエフスキーやトルストイやサルトルやカミュのような、小説で社会問題を扱いつつ、社会問題について小説以外の挑戦的な文章も執筆する人間になりたいと思い立った。そこでまず手に取ったのが、トルストイの、小説ではないこの文章である。
 冒頭、ロシア社会で芸術に携わる人々の生活が小説調に描写され、次々と罵倒されていく。これは紛れもない社会批判の小説であると感じられた。社会内の何の価値もない芸術に従事する労働者の堕落が論じられた後、今度はヨーロッパの芸術論全てが罵倒されていく。バウムガルデン、ヘーゲル、ワーグナーなど権威ある芸術論がこてんぱんに批判される。この皮肉がまた小説家風で実に痛快である。続いて、ボードレール、マラルメなど象徴派の詩は、あやふやで、何の意味もないことを綴っていると徹底的に批判される。当時の文学界で、いや現代でも支持されているボードレールから続く象徴的作風が、ここまでこてんぱんにけなされると実に気持ちいい。同様にワーグナーのオペラや、後期ベートーヴェンまでさんざん批判される。後期のベートーヴェンがこんなにまっとうに批判されている文章は初めて見た。本当にトルストイという人は、常人では素晴らしいと思っていることでも、自分が駄目だと思えば情け容赦なく批判できる、批判の達人である。この有り得ないような孤高の理想主義にこそ私は憧れる。
 ここまで罵倒した後で語られるトルストイの芸術観は、実に素朴で拍子抜けする。芸術とは、感情の体験だと言うのである。芸術が美だとすると、醜い感情を扱ったすばらしい芸術は芸術でなくなる。強い感情を追体験させてくれるものほど、芸術的であるという。トルストイにとって快楽、特に性的快感を扱った芸術は、悪い芸術である。人々を堕落させるからである。芸術とは人間の達した最高・最善の感情を人々に伝えることを目的としたものである、とトルストイは言う。そしてその最高のかたちは、福音書にあらわれるイエスの言葉となるのだった。この自分のかつての作品まで失敗作と決定づける強烈な主張には、発表当時から反論がわき起こった。
 私の現在の人生において助けとなった点は、トルストイが上流階級の芸術を徹底的に批判しているくだりである。上流階級は勤勉に働いておらず、宗教感情も持っていないから、不可解で、憂うつで、何の意味もない、民衆には理解できない芸術をほめたたえているとトルストイは罵倒する。トルストイは民話や異民族の神話的語りを、感情を率直に伝えるものとして称賛する。これを読んで、もう自分は不可解な現代文学作品を書くのは辞めようと思った。19世紀的リアリズム小説こそ、民衆に理解される芸術だと感じられた。トルストイは自身の過去の作品も快楽に溺れたものとして否定しているが、トルストイの作品は世界各国の民衆に愛された。そこには難解ではあるが、決して不可解ではない言葉が明確な話法で語られていた。
 トルストイは大衆の中から感情を伝える芸術家が現れ、未来の芸術は大衆芸術となると予言した。「世界の中心で愛を叫ぶ」とか、村上春樹とか、スピッツとか、Mr.Childrenとか、ベストセラーになっている作家は、知識階級の芸術家連から批判されるが、実はトルストイ的な芸術家ではないかと思えた。自分はスピッツやミスチルに連なる芸術実践をしていこうと思えたのだった。
 最後に最終章から引用。「真の科学の任務は戦争や死刑の不合理や不利益とか、売春の非人道性や害毒とか、麻薬の使用や肉食の弊害と不徳とか、愛国主義の蒙昧・害毒・時代おくれなどを開明することにあるように思える。」(133ページ)

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