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書評:クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

この記事の最終更新日:2006年5月28日

(以下の文章は当サイト作成者が別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています)
存在の耐えられない軽さ
存在の耐えられない軽さミラン クンデラ Milan Kundera 千野 栄一
集英社 1998-11

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軽いのと重いのとどちらがいいのか。パルメニデスは軽さを肯定した。ベートーヴェンは重さを肯定的に捉えた。クンデラ自身が重さと軽さどちらを肯定しているかもはっきり書かれていない。そんな単純な二者択一の答えは半ばどうでもよく、面白さは、重さと軽さについての複雑な考察作業なのである。

ベートーヴェンは、最後の交響曲の合唱「Es muss sein!」(そうでなければならない)を極めて重いものとして表現したし、それが多くの人に感動を呼び起こした。クンデラは「そうでなければならない」のインスピレーションが、日常の軽い冗談話から生じたことを暴き立てる。冗談はベートーヴェンによって重く、荘厳なものに昇華される。果たして「そうでなければならない」という重い命令は人を幸福にするのか。

トマーシュは自分自身の「そうでなければならない」から逃れ、軽くなろうとする。全ての命令、全体主義国家の、仕事の、キッチュな芸術の「そうでなければならない」からトマーシュは逃れ、軽くなろうと、独自性を持とうとする。

あらゆるキッチュ(俗悪)なものからの逃避。完全な休暇。その逃避行為は、究極的にはニーチェが示した、デカルト的な「世界の支配者としての人間」からの決別を意味する。

「人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである」(p374)

「そうでなければならない」は使命である。使命のない人間は軽くなる、自由になる、幸福になる。

使命を放棄した人は、何の力も持たなくなり、社会の最底辺にいるように見えるが、彼らはきわめて軽く、低い場所にいるようでいて、実際は高く身軽なのだ。

こう書くと単純化してキッチュになるから、小説そのものを読んで欲しい。

ミラン・クンデラの思想
ミラン・クンデラの思想西永 良成

平凡社 1998-06

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上記書籍は、ミラン・クンデラの小説観を理解する手助けとなる本。
クンデラの小説は世界的評価を得ているが、小説観を語った彼の講演は大時代的で時代遅れとの評価を受けている。クンデラは小説を近代ヨーロッパ特有のものと考えているからだ。彼にとってみれば、ヨーロッパ文明以外が作り出した小説は、小説でなくなる。ポストモダンを通り越して、ポストコロニアルかつマルチチュードの時代に、何をそんな19世紀的権威主義に陥っているのかと多くの識者がクンデラに落胆した。

著者はクンデラの大時代的小説観を擁護する。何故クンデラはこう言ったのか。彼が書いている小説は、セルバンテス以降のヨーロッパ小説の伝統に乗っ取ったものであると表明したかっただけで、ヨーロッパ以外の小説を否定しているわけではないと著者は言う。

釈明にしか聞こえないが、クンデラがヨーロッパ近代にとって小説の意義を明確に定義づけていることは確かである。すなわち、デカルトから発生する近代哲学は合理的で整った、直線的世界を構築するが、セルバンテスから派生するヨーロッパの近代小説は、合理性からはみ出し、落ちこぼれる、個人の生を記録するというのだ。近代小説は発生からして近代を超克しているというのがクンデラの説である。

硬直した理想の塊、全体主義国家において、小説は大衆の合意に寄りそうキッチュな芸術となるが、クンデラが主張する小説とは、多数の合意からはみ出すもの、不真面目さ、嘲笑、懐疑、ユーモアと皮肉の精神である。この点でクンデラは反ロマン主義、反理想主義、反叙情主義であり、冷酷に、くそまみれの現実を見つめる叙事詩こそ、クンデラの小説なのだ。それはセルバンテス、カフカ、プルースト、ジョイス、カフカ、ムージル、ブロッホに通じる小説の精神である。

こう書いていくと、クンデラは実に類いまれな現代小説家のようだが、やはり彼の小説観はヨーロッパ中心主義の枠内にあり、キッチュ、大衆性を嫌悪しつつ、少数者にのみ理解されうるある種の芸術性、美を信じている点で、彼は19世紀的なモダニストという烙印を押されるだろう。しかし、そうでなければ、20世紀後半にみなが読みうる文学を成立できないわけで、文学の状況は極めて困難であることに変わりはない。

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