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書評:プラトン『クリトン』

この記事の最終更新日:2006年4月23日

(以下の書評は2005年1月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています)

クリトン
ソクラテスの弁明・クリトン
プラトン 久保 勉
岩波文庫

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引用は、中央公論社世界の名著『プラトン1』所収『クリトン』田中美知太郎訳を使用しました。

『クリトン』を現代哲学として蘇生させてみます。

ソクラテスを死刑から救い出そうとするクリトンに対して、ソクラテスは自分の哲学のロゴスに従い、死ぬといいます。アテナの大衆は間違っている、ぜひ生き残ってほしいというクリトンに対して、ソクラテスは哲学を語ります。

『いや、それは、ほんとうに、大衆というものがそういう最大の災悪をつくりだすことのできるものだったらと願うね、クリトン。そうすればまた、善福も最大のものをつくりだすことができようからね。そうだとしたら、結構なことだろうよ。しかしじっさいは、どちらもできはしないのだ。彼らは人を賢くすることもできなければ、愚かにする能力もありはしない。彼らのすることは、何にしても、その場かぎりのことなのだよ。』(p464)

自分が大衆の一部だと思っている者は一人もおらず、知識人が勝手に大衆というものを作り上げて批判している、とはフランスの現代思想家フーコーの言葉です。現代において大衆批判を行うのは滑稽ですが、ソクラテスの哲学は、大衆の意向におもねない地点からいつも始まります。

『さあ、それなら、こんどは、つぎのようなことはどう言われていたかね? いま、体育の練習をしていて、本気でこれの勉強をしている者があるとしたら、彼は、だれかれの区別なくすべての人の賞賛とか、非難とか、思いなしとかいうものに注意をはらうだろうか。それとも、ただ一人の、医者であるとか、体育家であるとかいう、まさにそういう者だけの思いなしに注意をはらうだろうか。(…)そうすると、非難を恐れ賞賛を喜ばねばならないのは、そういうただ一人のそれであって、かの多数者のそれではないことになる。』(p470)

この話はあらゆる技術の習得にとって真実でしょう。ただし、テレビが浸透し、大衆受けする技術に多くの賞賛と資本が動く現在、技術の熟練者に対してではなく、大衆に受ける技術を行う者が、現在大量に徘徊しています。己の利益のためにでなく、より善きこと、社会のために技術の修練をつむこと。

ただし、芸術においては、このソクラテスのすすめも、いささか批判せざるをえない。芸術は、多数の価値観にわかれ、子弟制度を拒否し、誰もまだしていない独創的表現を求めて進化している。そうした芸術にあっては、
『さあ、それなら、もしそのただ一人の人の言にしたがわないとしたら、どうだろう? その思いなしも賞賛も尊重しないで、多数の何もわからない連中のそれをありがたがるとしたら、それで何の害も受けないというようなことが、はたしてありうるだろうか?』(p469)
 というソクラテスの言葉も、後半部分は受け入れられるが、前半部分は拒否せざるを得ない。現代の芸術家は孤独である。誰の思いなしも賞賛も尊重せず、監督者をも持たず(先代の芸術を否定するところから新しい芸術が生まれる)、一人孤独に自分だけの技術の創出に励まねばならないのだから。
 ただ、子弟制度を拒否した孤独な芸術家は、多数の価値観の受容、差異を解消せず差異のまま受け止めるというバルト、デリダ的思考の者を師とあおいでも善いだろう。人におもねることで、一つの価値に収斂することをソクラテスも戒めている。そこで、ソクラテス的に一つの真理に向かうことなく、さまざまな現実を統合することなく差異のまま肯定する思考、新しい愛知があっても善いだろう。真理が複数ありうることを真理として信じること。これがソクラテスから連なる二十世紀哲学の到達点であろう。
『そうすると、善き友よ、あの多数の者どもがぼくたちのことをどう言うだろうかといったことは、そんなに気づかわなければならないことではまったくない、ということになる。むしろ、一人でも、正、不正についてよく知っているその人が何と言うか、また、真理そのものが何と言うかということのほうが、大切なのだ。』(pp472-473)
 このソクラテスの言葉を現代において解釈すると、「正、不正についてよく知っている人」とは、真理が複数あり、共存しうることを知っている、差異の肯定者である。「真理そのもの」とは、「真理が複数あること」なのだ。
 ただ、そうだからといって、あらゆる意見を野放しにしてしまうと、それは「人間は万物の尺度」というソフィスト的相対主義を生み出してしまう。我々は、一元的な価値をおしつけてくる者に対して、真理は複数あるということを述べることで対立していく、「複数真理」の擁護者になる必要がある。
 現代の芸術実践は、複数の真理を共存させるポリロゴスの営みとなるだろう。ポリロゴスにのっとって、カーニヴァル的ハイパーテクストを書く小説家は、大衆の評価を気にせず、多元的な価値観を推進し、地球文化の統一に反抗する者の評価を期待して、技術を磨くことだろう。

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