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書評:プラトン『国家』

この記事の最終更新日:2006年4月23日

(以下の書評は2005年1月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています)

国家
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引用は、プラトン著、藤沢令夫訳『国家』上下巻(岩波文庫)を使用しています。

 主要な論旨に捕われることなく、現代思想の観点からみても、有益な部分のみをいつも通り切り取り語っていく。テクストとなる『国家』は対話篇という性格上からか、正義について、多岐に渡る論議をめぐらしている。
 ソクラテスは老ケパロスに道すがら呼び止められる。老年になったら、いろいろの楽しみがなくなり、不幸になるのではという通俗的考えに対して、ケパロスはソポクレスをひきながら反論する。
『まったくのところ、老年になると、その種の情念から解放されて、平和と自由がたっぷり与えられることになるからね、さまざまの欲望が緊張をやめて、ひとたびその力をゆるめたときに起こるのは、まさしくソポクレスの言ったとおり、非常に数多くの気違いじみた暴君たちの手から、すっかり解放されているということにほかならない。(…)端正で自足することを知る人間でありさえすれば、老年もまたそれほど苦になるものではない。が、もしその逆であれば、ソクラテス、老年であろうが青春であろうが、いずれにしろ、つらいものとなるはずだ』(pp21-22)
 快楽の超越から生じる心の平安。これを倫理学は説くわけだが、それだけで終わらず、平安を他の似たものから厳密に区別し、反論を受けながら考察する時、哲学が始まる。ソクラテスもまた、議論を開始する。正義を実践する者は、自分の利得のために他人を支配するのか否かという問題について、ソクラテスは技術論を説く。自分の利益のためではなく、他人の利益のために働くのが技術であると言う。
『技術というものは、自分の欠陥を補って利益になることを考えるというようなことのためには、自分自身をも他の技術をも必要としないものなのだろうか? なぜなら、そもそも欠陥だとか誤りだとかいったものは、およそいかなる技術にもはじめからありえないのだし、また、技術が探求する利益とは、その技術がはたらきかける対象にとって利益になること以外にはないはずだからね。そして技術そのもののほうは、それが正しい意味における技術であるかぎりはーーすなわち、それぞれが厳密な意味での技術として、全面的に自分自身の本質を守るかぎりにおいてはーー完全にして無傷なものだからだ。(…)また馬丁の技術とは、馬丁の技術の利益になることを考えるものではなく、馬の利益になることを考えるものだ。さらには他のどのような技術も、その技術自身の為をはかるものではなくーーなぜなら、はじめから何も不足していないのだからねーー、その技術がはたらきかける対象の利益になることを考察するものなのだ』(pp61-62)
こうした技術は実際にはありえない、理想としての技術だが、小説家にこのロゴスを当てはめて考えてみよう。作家の利益のためでなく、小説の利益のためにでもなく、ただ読者の利益のために書かれるのが完璧な技術としての小説となる。そこで言う利益とは、読者の好みに追従するものではなく、感覚的には一見厳しいのだが、論理的には読者の役に立つ正しい徳である。
 ソクラテスは支配の技術も、支配者のためでなく、支配されるものの利益のためになされると言う。
 正義の人でも、欲得が得られる状況になれば不正を働くだろうという反論に対し、ソクラテスはこう反駁する。
『よく観察しなければならないのだーーすべての状況においてその人が、たぶらかしに対する抵抗力と端然とした品位を示すかどうか、自己自身を守り、自分が学んだ教養(音楽・文芸)を守るすぐれた守護者として、自分が身につけたよきリズムとよき調和をそれらすべての状況のなかで保持し、かくて自己自身にとっても国家にとっても、最も有用有為の人物でありうるかどうかを。』(p250)
 最も善きものを保持するなら、多様ではなく善きものに従う単一が尊ばれるだろうし、欲望を放逐し見出した調和を保つのが哲人であると言う。
 下巻にうつる。ソクラテスは、よきことを納めた哲学者が支配者になることがふさわしいと言うが、哲学とはいかなるものであるかというと、下記のように簡潔に語られる。
『哲学者とは、つねに恒常不変のあり方を保つものに触れることのできる人々のことであり、他方、そうすることができずに、さまざまに変転する雑多な事物のなかにさまよう人々は哲学者ではない』(p16)
『彼ら哲学者たちは、生成と消滅によって動揺することなくつねに確固としてあるところの、かの真実在を開示してくれるような学問に対して、つねに積極的な情熱をもつ』(p19)
 生成変化するものより、固定のものを尊ぶこの思考法は、ポスト構造主義によってさんざん批判されたが、それでもポスト構造主義者たちは大学の外に出て放蕩にふけらず、あくまで大学の中で哲学史にのっとった知の営みを続けたことに注意されたい。
 大学に入って、ポスト構造主義の知に触れ、学問全てに絶望する若者がいるが、こうした哲学の危機は、ソクラテスの時代からすでに頻出していた。
『このような状態にある人がやがて問を受けることになって、〈美しいこと〉とは何であるかと問いかけられ、法を定めた人から聞いたとおりを答えたところ、言論の吟味にかけられて反駁されたとする。そして何度も何度もいろいろの仕方で論駁されたあげく、自分が教えられてきたことはなにも美しいことではなく、醜いことなのかもしれないと考えざるをえないようになり、さらに〈正しいこと〉や〈善いこと〉や、これまで尊重してきたさまざまの事柄についても同じことを経験したとする。(…)以前のようにはそれらを尊重すべきもの、自分の血縁のものと考えることはできず、さりとてまた真実のものを発見することもできないでいるとき、彼が当然の成り行きとして向かうことになる生き方としては、例の追従者たちが誘う甘い生活のほかに何がありうるだろうか?』(p169)
『こうして、みずから多くの人々を論駁するとともに、他方また多くの人々から論駁されているうちに、彼らは、以前信じていたものを何ひとつ信じなくなるという状態へと、はげしくまた急速に落ちこんで行く。そしてまさにこれらのことから、彼ら自身だけでなく哲学に関するすべてが、他の一般の人々から不信の目で見られることになるのだ』(p161)
 こうした状況に対して、ソクラテスは哲学を教える時は用心と警戒が必要だし、若年者ではなく、節度ある成熟した者に教える方がよいと言う。
『こうした言論を習うことを許されるのは、生まれつきの素質において端正な、しっかりした人々でなければならず、現在のように誰でも行き当たりばったりの、まったく不適当な者がそこへ赴くことがあってはならないということだ。』(p161)
ドゥルーズは直線的ではない遊牧民の思考法を説いたが、自分自身は大学に留まり続けた。不動の彼を批判する通俗的な声に対しては「真のノマドは定住する」と皮肉をもって答えたとか。
 ドゥルーズの精密な記述は哲学教育のたまものである。デリダやクリステヴァら形而上学の批判者には、豊かな哲学史の理解がバックにある。古典を学ばずして、ただポスト構造主義の批判に耳を傾けるだけでは、知の営みは終わってしまう。
 プラトンの『国家』は無益と思われていた哲学をエンパワーメントし、哲学者こそ支配者にふさわしいと説く。ハイデガーは『国家』を読みつつ、ナチスにプラトン的哲人政治の実現を見て演説したというが、そう聞いたからと言って哲学史の全てをヒステリックに否定することは控えよう。古典から学びうることはかぎりない。
 プラトンの時代には、善く生きること、美しくあることと、知を高めることは共存していた。この幸福な関係は19世紀中頃まで続く。ボードレールが『悪の華』を発表し、モラルと美は両立せずともいいと主張したところから、モダニズムの、純粋芸術の時代が始まる。神がいるかいないかについては問わず、宗教現象を研究した時から、価値を問わない専門化した学問が始まる。現代においては、善く生きることと、知と美は無関係に存在する。
 しかし、ボードレールは美しいものも醜いものも等しく描くことで、世界の全てを詩の中で照応させようとした。宗教社会学も、神の存在については問わないことで、今まで研究対象ではなかった宗教現象を解明できるようにした。世界を知り尽くそうという知の鋭意は二十一世紀まで一貫して続いている。
 価値についてはあえて考察せず、自文化の固定観念にとらわれず、知を究めようとすることが現代の学問なのだろうか。善く生きるという命題は消えたようでいて、実は存在し続けている。すなわち、多元的な価値が共存する現代においては、価値観を一旦保留し、他者を迎え入れ語り合う必要があるのだ。それこそ現代における、正しく、善く生きることである。
 故に、節度と勇気と品位を保つことは、現代においても必要であるし、テレビだけを見ていては覆い隠されている、世界規模で進展する国際問題について知ろうとし、公の場で多くの異文化の人と、それらの問題について節度をもって議論することこそ現代的な哲人のあり方である。ここにおいて、善く生きることと、知の営みは再び合一し、学のエンパワーメントは完結する。


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