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解説:ハーバーマスの思想

この記事の最終更新日:2006年5月9日

学生時代私はフランス現代思想よりだったため、ハーバーマスを好んでいませんでした。ハーバーマスはフーコーにもデリダにも論戦をしかけています。フランス思想に親しんでいると、ハーバーマスの語り口は理想主義的で、教条的で、何か古臭いものを信じているように感じられました。

世界同時多発テロが起き、教養知がどんどん低活性化していき、デリダが死んだ現在、今でも生きて発言しているハーバーマスは、哲学知における希望のように見えます。デリダ、フーコー、ドゥルーズ、バルト、ブルデュー、サイードら知の巨人たちが次々亡くなっている現在、彼らと同じ時代に生きて、近代の意義を主張していたハーバーマスは、知のよりどころとして今後もますます重要になってくるでしょう。

時代が変わったせいか、自分が社会人になったせいか、今ならハーバーマスの言葉がすっと頭に入ってきます。世界の名著をリバイバルするという現在私が取り組んでいるこの企画は、様々な思想をとりこみ、現役の思想家と議論を重ねながら、未完のプロジェクトである近代を推し進めようとした近代理性の擁護者、ハーバーマスに重なるなと気づきました。ハーバーマスの現代的意義について、清水書院発行「人と思想・ハーバーマス」を参照しながら解説してみます。

ハーバーマスには、近代を否定するポストモダンの思想家たちとは決定的に相容れない点があります。ポストモダンの思想家たちは反近代の先駆者たるニーチェ、ハイデッカーに思想的根拠を置きますが、ハーバーマスにしてみれば、ニーチェやハイデッカーは絶対に賛同できない論敵となります。これには、フランスとは違う、ドイツの歴史状況が絡んできます。

ハーバーマスは戦後ドイツの状況を生きていきますが、彼はかつてナチスに協力していた政府の要職者が、戦後すぐに新政府の要職に舞い戻る現実を目の当たりにします。ここでハーバーマスは、哲学的営みと政治的営みは異なるものだと思い、ドイツ哲学の学習をすすめますが、戦後発表されたハイデッカーの著書に、ナチス賛辞の文章が削除されることなく掲載されているのを見つけて、ドイツ哲学とドイツの政治は決定的に結びついているという確信にいたります。

ドイツ思想の中に、反近代的なナチスの全体主義を生み出す契機があることを確認したハーバーマスは、当時流行していた反近代の思潮に懐疑的になります。ナチスもまたニーチェやハイデッカーと同じように、近代の社会システムを否定しています。合理精神から離れた、自然的、魔術的、古代的な美と英雄像を賛美するナチズムの全体主義は、ニーチェの超人思想とも合致します。ニーチェは近代と合理性の両方を否定し、ディオニュソス的な「力への意志」を賛美しました。ニーチェや、ニーチェと同じく近代哲学を否定したハイデッカーに思想的基盤を持つフランスのポスト・モダン思想は、近代理性、主体の形而上学を批判します。例えばニーチェの影響が多大なフーコーは、理性とは支配欲であり、権力への意志である、理性が構築する合理的システムは、国家の成員全員を監視し、異質物を排除すると洞察しました。

反近代を述べるこれらの思想は、ある意味ナチズムと同じ思想的基盤を共有していると考えるのが、ハーバーマス流です。ハーバーマスも、市民を支配しようとする権力機構には反対しますが、理性、合理性を全否定するわけではありません。

ハーバーマスは近代が生み出した、民主主義的法治国家の伝統を尊重します。民主主義は、全体主義と異なり、自分自身で考え、生活の全ての側面において自己決定できる、自立した個人の討議によって成立します。理性的判断能力、批判能力を持つ個人同士が、対話することで、公正で妥当な結論に至るというのが、民主主義の理念的活動形態です。

近代以前の国家では、個人が自由に考え発言する権利が認められていませんでした。近代化とともに、個人が意見交換する社交サロン、新聞、雑誌が発達し、公権力の領域とは異なる、個人同士が自由に意見を討議できる公共空間が出現しました。公共空間における対話によって、ブルジョワ革命が起こり、近代社会ができあがったというのがハーバーマスの近代史解釈です。批判能力を持ち、自己決定できる理性的市民がいなくなると、近代社会は機能しなくなります。全体主義社会がその好例です。

ハーバーマスは個人同士が発揮する合理的コミュニケーション行為、対話理性を重視します。対話理性まで否定してはならないというのが、ハーバーマスと反近代・反理性の論説家(反理性を主張している論説家というのは、そもそも論理矛盾です)との決定的違いです。

ここでパブリックについて補足を一つ。ハーバーマスが規定する公共空間とは、日本の思想家が述べるところの「公」とは大きく異なります。日本の思想家が述べる「公」は、ずばり公権力です。公権力や企業組織は、目的をもって活動を組織し、組織的戦略目標達成のための要員として個人を利用します。近代理性が持っている、合目的性に個人を当てはめようとする側面については、ハーバーマスも反近代の思想家同様否定的です。ハーバーマスはかといって理性を全否定することなく、公権力から隔離された公共空間における自由な討議、公権力を抑止する民主主義の理念に希望を見出しています。民主主義とは上から与えられるものではなく、公権力に対抗するために自分たちで作り上げるものなのです。パブリックに対する認識が日本とヨーロッパでは大きく異なるようです。

ハーバーマスが何より危惧しているのは、対話理性の基盤となる公共空間の喪失です。現代国家は市場や民主主義への介入を強め、個人の生活世界に深く侵入しています。公共空間が広告空間となることで、市民は消費生活に没頭し、豊かさと安寧をひたすら求め始めます。脱政治化された市民は、衆愚政治に容易に賛同しかねません。絶えず批判的な討議を続け、公権力を監視すること、権力に監視されているだけでなく、監視し返すという発想が、ハーバーマスとフーコーの違いではないでしょうか。

対話理性が示す主体の複数性について補足を一つ。伝統的に哲学は、考える一人の主体による反省、自己省察から理論を展開させてきました。大きなONEによる体系構築は、反近代の思想家にも批判されたわけですが、ハーバーマスは、ONE同士が対話することで初めて成立する、対話的理性を、近代理性の中でも尊重すべきものとして残したわけです。ハーバーマスのこのコミュニケーション重視の考えは、彼に対する批判の検証から生まれてきました。対話理性に至る前のハーバーマスは、彼に先行するフランクフルト学派のアドルノらと同じく、社会を一つの主体と考えていました。これはヘーゲルやマルクスにまで遡る考え方です。

ポパーら実証主義者は、人間社会も自然科学の研究対象と同じように、客観的にとらえられる、客観的にとらえられるものだけを検証することで、社会理論をうちたてようという考えを表明しました。これに対してアドルノは、人間社会には所属する個人の様々な主観、思惑、欲望が混ざりこんでおり、こうしたばらばらの主観を検証することが重要だと反論しました。様々な人々の主観が混ざりこんでいるため、現実社会は理念からかけ離れて、無軌道にばらばらに動くのだとアドルノは考えます。一人一人の主観的欲望がかなえられないため自己疎外が起きるし、社会を一つの大きな主体として見れば、社会自体が自己疎外にいたっっている、自己疎外に陥っている社会を本来的な自己認識にいたらせるためにはどうすればよいか考えるのが、アドルノにとっての社会科学になります。社会を一つの総体として見る考え、歴史が発展すれば社会は自己認識にいたり、最初にあった理念が実現するという考えはヘーゲル、マルクスと共通のものです。

ハーバーマスも対話理性に重点を置く以前は、社会を一つの主体と考える枠組にはまっていました。目標に向かって一体となる合目的性を尊ぶこの考えに批判が集中した結果、ハーバーマスは一つの主体に基礎をおかない、複数のコミュニケーション行為を尊ぶ理論を、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」をヒントとしながら打ち立てたのです。

主体の形而上学批判、全面的な近代理性批判は、公権力の支配権の外側にある対話的理性を見落としています。対話的理性に基礎をおくことで、近代の意義を残すことが可能になりました。近代が作り上げたよき点を取り落とすことなく、全体主義を回避する社会批判の理論を完成させたこと、これがハーバーマスの大きな功績です。

ハーバーマス代表作
公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究
コミュニケイション的行為の理論
近代の哲学的ディスクルス


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