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近代―未完のプロジェクト J.ハーバーマス 関連書籍 公共性 ハーバーマス―コミュニケーション行為 イデオロギーとしての技術と科学 公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 他者の受容―多文化社会の政治理論に関する研究 by G-Tools |
ポストモダン論争を巻き起こしたアドルノ賞受賞記念講演「近代ー未完のプロジェクト」(1980年9月11日)をおさめた現代ドイツの思想家ハーバーマスの社会評論集です。
序文に書かれた、インテレクチュアルズ(知識人)の解説が秀逸です。ハーバーマスはインテレクチュアルズの今日的意味の発生を19世紀末フランスのドレフュス事件に見出しています。
ドレフュス事件に活躍したアナトール・フランスが見るインテレクチュアルズとは、「普遍的な利害を先取りするかたちで公的な事柄に言葉と文章によって介入する知識層の人々」です。インテレクチュアルズは「公共の事柄に参画するにあたってそれ相応の知的能力があるが、しかし、それはスペシャリスト的な意味ではないし、政治的な参画であるが、しかし、それは誰かに委託されたわけではない」と言われます。
インテレクチュアルズには、己の知性を鼻にかける特権意識はありません。彼らは「デモクラシーの中の国家公民が持つ平等志向」を備えており、「デモクラシーにおける決定過程においては、彼の発言は、他のどんな市民の発言以上の重みを持つものではない」と理解しています。
インテレクチュアルズはまた、よりよき立論が持つ力に信頼をおいています。
『その発言の向けられた特定の読者対象が個々のケースでそれぞれ異なろうとも、判断能力のある、そして発言に反応して自分の見解を表明する読者公衆を信頼している。彼らの「イエス」と「ノー」を通じて、政治的に影響力のある見解が浮かび上がってくるような、そうした読者公衆を前提にしている。インテレクチュアルズは、半ばであれ機能する、リベラルな公共圏という共鳴板がたよりなのである』
高級で孤立した文化の代表者であると思いこみ、精神的高みを維持するだけにとどまらず、積極的に政治状況に関わるインテレクチュアルズの理想は、ハーバーマス自身に重なります。インターネットが普及した現在、弾圧、買収、誘惑に無縁で、「マスメディアによって支配管理された公共圏の中でいわば素手て立っている数少ない役者」であるインテレクチュアルズになれるのは、何も著述家や哲学者たちだけではありません。誰でもがインテレクチュアルズとして、マスメディアに対抗して意見を発表できるのが、ブログの時代であると感じます。何らかの技術の専門家、エキスパートとは、その専門内における技術的な問いに答えを与える人だとすれば、インテレクチュアルズとは、専門を超えて、公的な事柄に対して発言する人のことをさすのです。
こうした近代民主主義国家が備えている理念を信じているハーバーマスは、反近代、ポストモダンの思想に対して手厳しい批判を加えています。発表後、ポストモダン論争を引き起こしたのが表題作「近代 未完のプロジェクト」です。
ハーバーマスはモデルネ(近代、現代)と、モデルネを否定するポスト・モデルネ、反近代精神の問題を、まず芸術史に沿って展開していきます。芸術におけるモダニズムは一般的には1850年頃とされています。ボードレール以降のアバンギャルド芸術の発展に即してモダニズムは理解されていますが、ハーバーマスは5世紀後半、異教が支配していた過去に対して、キリスト教が支配する現代を区別するために用いられた、モデルン(現代的)という言葉の使用に、モデルネ概念のおこりを見ています。現代性とは、古典古代という過去に対する現代を定義する時に度々使われる言葉なのです。
伝統、過去の歴史に対する現在の革新性。
『モデルンとは、時代精神がアクチュアリティへとたえざる内発的な自己革新をするさまを表現へと客観化するものを意味するようになった』(p9)
こうしたモデルネの心境は、アバンギャルド運動の中で花開きます。未だ定まっていない未来への予感、新しいものへの崇拝、瞬間性、うつろいやすさの価値付け、静止した汚れなき無垢の現在を求める憧れの念としてのアバンギャルドは、伝統を拒否する、絶えざる自己否定のエネルギーとなります。
対して、新保守主義の論陣は、アバンギャルド芸術に対して大きな嫌悪感を示します。彼らにとってアバンギャルドは、日常生活を律する客観的・道徳的規範、職業生活における規律正しさ、目的合理性とは折り合わない、個人重視の快楽主義に見えるのです。
新保守主義者にとって問題となるのは、「自由放埒に限界を定め、規律と労働倫理を再建しうるような規範はいかにしたら確立できるのか? すなわち、社会福祉国家的な水平化に対して、個人的業績の競い合いのもつ美徳を強調しうるような規範はいかにしたら実現しうるのか」(p16)ということです。ハーバーマスは、新保守主義者らがモデルネに反発しているのは、大きな誤解によると言います。新保守主義者は、快楽主義的なアバンギャルドの芸術運動が、現代社会における様々な問題の原因の一つになっていると分析していますが、ハーバーマスは現代社会における問題の原因は、理性の細分化、専門化によると考えています。理性的営為がばらばらになっているため、様々な問題、ひずみが生じているのです。
ハーバーマスは社会学者のマックス・ヴェーバーにならって、近代以降、それまで一体して機能していた理性が三つの領域にわかれてしまったことを指摘します。三つの領域を一つずつ見ていきましょう。第一の領域は、真理、認識が関わる領域です。何が真なのか、何が偽なのか認識する自然科学的な理性の領域です。第二の領域は、規範上の正当性、正義が関わる領域です。何を正義とするのか、何を悪とするのか、法律と道徳を定める理性の領域です。第三の領域は、純粋性もしくは美、趣味の領域です。何を美しいと感じるのか、芸術的行為を規定する理性の領域です。
近代以前の世界では、認識と道徳法と芸術は一体して思考されていましたが、近代に入って三つの領域は専門として分化していきます。高度に発達する科学、道徳法、芸術の知識は、相互に交わる機会を少なくしていき、お互いに無関係であるかのように機能し始めます。芸術におけるモデルネの運動、芸術の絶対的自律の主張は、理性の細分化のあらわれの一つですし、科学者による非道徳的破壊行為も理性の細分化が原因です。道徳家の過度の自己主張は、美や科学の成果をしばしば無視します。
「こうした進展に伴って、各種専門家の分化と公汎な公衆との距離が拡がってきた。専門家による処理と反省を通じて分化の中味が増大しても、それがそう簡単に日常的実践の共有物になるとはかぎらなくなってしまった。むしろ文化的合理化に伴って、生活世界は自身の伝統のもつ実質的な価値を奪われ、文化的貧困化の危険が増大している」(pp22-23)
ハーバーマスが危惧しているのは、このような生活世界と理性との乖離現象です。理性の合目的性は生活世界を幸福にせず、むしろ過度に合目的化された経済行為、戦争行為によって生活世界を浸食、圧迫し、人間に多大な害を与えているのです。
ハーバーマスは、理性を批判したり、手放すのでなく、三つの領域に別れた理性を統合し、啓蒙主義の理想のごとく理性を生活世界に役立てようと志向します。
『十八世紀に啓蒙主義の哲学者たちによって表明されたモデルネのプロジェクトが目ざしていたのは、客観性を志向する科学を、また道徳および法の普遍主義的基盤を、そして自律的芸術を、それぞれ他に囚われることなくその強固な自律志向において展開させることだったが、また同時に、こうして集積された知的潜在力を特殊な人間にしかわからない高踏的なあり方から解き放ち、実践のために、つまり、理性的な生活を形成するために役立てることでもあった。コンドルセのようなタイプの啓蒙主義者たちは、芸術と学問の発展によって自然の諸力に対する支配が進むだけではなく、世界と自我の解釈が、さらには、道徳的進歩が、公正な社会制度が、そしてついには人間の幸福が促進されるであろうという期待に満ち溢れていた』(p23)
ハーバーマスが期待しているのは、太字にした引用部分であろうと思います。ある種の急進的芸術運動は、生活の中に芸術を極度に拡大することで、幸福を実現しようとしますが、ハーバーマスは、細分化された専門領域の肥大化によっては、総合的幸福は実現されえず、一部の肥大化によって生活世界が圧迫されると考えます。ハーバーマスはこうした集中的思考法を芸術の間違った止揚と呼び、対して、生活世界に結びつく芸術表現を推奨します。
『もし美的経験が、受容者の生活史上の状況を開明する探照灯的な役割をもつものとして、実人生の問題に結びつけられる場合には、美的経験の演じる言語ゲームは、もはや美術批評のそれとは異なったものとなるということである』(p37)
理性と生活実践との関連化は、芸術だけに限らず、学問や道徳の領域でも可能だとハーバーマスは言います。
『モデルネの文化と日常の生活実践とをーーつまり、生き生きとした伝統を必要とすれうば、単なる伝統主義によっては貧困化せざるを得ない日常の生活実践とをーー各側面において精密に再接続することがうまく行くためには、社会の近代化をもこれまでとは異なった、非資本主義的な方向へ導くことが必要であり、また、生活世界がそれ自身の中から経済的および行政的行為システムの自己運動を制限しうる諸運動を制限しうる諸制度を生み出し得ねばならない』(pp39-40)
これで終わってよかったのですが、最後にハーバーマスは、近代という未完のプロジェクトを推進する動きの妨げになる思想が現代に広がっている点を指摘し、それらを3つの保守主義として定義します。この分類が実に強引でかつ短い指摘しかないため、論争の火種となったのですが、まず試しにハーバーマスの言い分を聞いてみましょう。
第一に定義されるのは、反近代主義(アンチモダニズム)の青年保守派です。想像力、自己経験、情念を賛美し、労働と有効性の命法から自由になった彼らは、近代合理性に対立する力への意志、至高性、存在などを持ち出します。ニーチェ、ハイデガー、バタイユ、フーコー、デリダらがここに含まれます。
第二は前近代主義(プレモダニズム)の老年保守派です。彼らは近代世界に少しでも触れるのを拒み、モデルネ以前の時代に回帰するのを好みます。スピリチュアル派、エコロジー主義者などがここに含まれるでしょう。
第三は後近代主義(ポストモダニズム)の新保守派です。彼らは近代性、合理性を評価しますが、学問、道徳、芸術のそれぞれを生活世界から切り離して、専門的に管理することを好みます。彼らは理性が欠けた生活を安定させる根拠として、伝統を持ち出しますが、伝統によって生活世界が充実しないことは確かです。
革新的と考えられていたポストモダンおよびフランスの現代思想家を、アンチモダニズムの保守派としてばっさり切り捨てたこの講演は、後に大きなポストモダン論争を呼び起こしますが、ハーバーマスが指摘する近代理性の細分化という問題意識には、十分説得力があります。
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