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フローベール『ボヴァリー夫人』

この記事の最終更新日:2006年5月29日

ボヴァリー夫人
ボヴァリー夫人フローベール
新潮社 2000

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フローベールは近代小説の創始者と目されています。近代小説の真の始まりを告げる『ボヴァリー夫人』が発表されたのは1857年。これはくしくも、近代詩およびモダニズム芸術の真の創始者とされるボードレールの詩集『悪の華』が発表された年でもあります。


『ボヴァリー夫人』も『悪の華』も、風俗を乱す罪に問われます。近代小説および近代詩とはすなわち、社会道徳や法規範とは別に、芸術的美しさそのものの価値を追求する芸術運動です。芸術価値の追求が社会規範に抵触しようとも、小説は、小説そのものの価値観にのっとって、己を出現させます。

と大仰に言っても、モラルなき現代から見れば、『ボヴァリー夫人』は裁判沙汰を起こすほどスキャンダラスな作品には見えません。きわめて全うな小説だと思われます。

『小説のための小説』、『芸術のための芸術』という、芸術の独立性の主張が、近代小説的価値の一面だとすれば、フローベールが創ったもう一つの大きな成果としてあげられるのは、小説の中に小説以外の雑多な要素が入らなくなったという点です。

フローベール以前の小説には、作者が突然独白を始めたり、物語の中に作者の解釈が入ってきたりと、小説の虚構性が暴かれることがよくありました。『ボヴァリー夫人』の中に作者の主観性は入ってきません。虚構を完璧なまでの虚構として、客観的に、神のごとく描写すること、フローベール的な小説の作法は、ポストモダンが当たり前となった現在でも、出版社による新人賞の評価基準として病的なまでの権威を発揮しています。小説の小説性を保つこと、主観を排して客観的描写を徹底することは、実はものすごく主観的な作為、強固な意志によって成されるものです。

フローベール自身は、小説の一文一文を詩とすることに腐心しました。一文を作り出すのに一日かけて考え尽くすという絶対的な挑戦心が、近代文学を創始したのです。強固なる権威となったフローベールは、プルーストジョイス、ナボコフ、サルトルなどに敬愛されていますが、同時に現代の文学とは、フローベールが打ち立てた近代小説の概念に対する挑戦であり、フローベール的なものとの格闘なのです。


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