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書評:ハイデガー『存在と時間』

この記事の最終更新日:2006年5月27日

存在と時間
マルティン ハイデガー 細谷 貞雄 訳
筑摩書房 1994-06



20世紀哲学を代表する名著です。デリダは三者対談の様子を覗いてみたい偉大な思想家として、フロイト、ハイデガー、レヴィナスの3人の名をあげています。ハイデガーの哲学には、プラトン以前の古代ギリシア哲学から、デカルトの近代哲学、カント、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論、ヘルダーリンのドイツロマン詩、キルケゴールの実存哲学、ニーチェの力への意志、ディルタイの生の哲学、フッサールの現象学等が流れこんでいます。ハイデガーは過去の形而上学の営みを存在という主題から、根底的に批判し、存在を中心にすえる独自の哲学を生起させます。形而上学批判の姿勢、通常論理を打ち破る独特の文体は、ラカン、フーコー、ドゥルーズ、デリダなどフランス現代思想に決定的な影響を与えています。

ハイデガーは主著『存在と時間』出版後、存在論的転回と呼ばれる思想転換を迎えたと一般的に言われていますが、内実は、『存在と時間』には、彼の思想総体の一部しか書かれなかったと考えるのが妥当です。『存在と時間』に書かれた人間中心的ハイデガーの思索は、前期ハイデガーと言われ、『存在と時間』出版後に公表されたハイデガーの思索は、後期ハイデガーと呼ばれます。この場では未完の主著『存在と時間』に書かれている、いわゆる「前期ハイデガー」の思索にしぼって論を進めます(後期ハイデガーと呼びなわされる思想については、『「ヒューマニズム」について』の書評で触れます)。

『存在と時間』には、存在、存在者、存在論、現存在、実存という類似した言葉が頻出します。まず、それそれの違いを明確にしていきましょう。

1、存在とは?

古代ギリシア哲学から、存在は問題にされてきました。
存在とは「〜がある」ということです。

アリストテレスは主著「形而上学」において「存在は、すべてのもののうちで、もっとも多く普遍的である」としています。存在、すなわち「あること」は、全ての議論、存在物、哲学の大前提となる、最も明白で普遍的な、「自明の理」(カント)とされてきました。事物が存在しているという大前提がなければ、何の議論も成り立ちません。しかしハイデガーは、存在の概念は究明の必要がない最も明白な概念ではなく、最も暗い概念だと指摘します。ハイデガーは事物が存在することを前提し、存在している事物の本質や表象関係について考察してきた形而上学の歴史(加えて形而上学を前提とする全ての自然科学、人文科学)を疑問にふすのです。学問に忘却され続けてきた存在の問いを始めようというのがハイデガーの問題提起です。

2、存在者とは?

存在者とは、存在しているもののことです。人間も含めた存在している事物全てが存在者と呼ばれます。

存在者は、存在の意味について了解していなくても、存在することができます。形而上学はプラトンの頃から、人間という主体が、外の存在者および自分自身をどう認識するかという問題を打ち立ててきました。ハイデガーは、形而上学が己の議論の大前提となる存在「あること」を疑問視せず、存在者についてのみ考究してきたことを批判します。

3、存在論とは?

ハイデガーが形而上学にかえて論じるのが、存在についての問いを重ねる存在論です。存在と存在者はよく混同されます。両者を混同している場合、ハイデガーはそれを「存在」とかっこつきで書き記します。存在があるからこそ存在者は存在するのです。同語反復的ですが、現行の文法ではとらえきれないもの、ずっと忘却されてきたものが存在なのです。

4、現存在とは?

自分が存在していることを了解している存在者、つまり人間は、現存在と呼ばれます。何故人間が現ー存在と呼ばれるのかは後ほど解説します。

5、実存とは?

現存在は、存在そのものとなんらかの形で関わっています。現存在が関わっている存在そのものは、実存と呼ばれます。

現存在は、実存を理解しているものと、理解していないものの二つにわかれます。

『現存在は自己自身をいつも自己の実存から了解している。すなわちそれは、自己自身として存在するか、それとも自己自身としてでなく存在するかという、おのれ自身の可能性から自己を了解している。これらの可能性を、現存在はみずからえらんでいるのか、それとも現存在はそれらの可能性のなかへたまたまおちいってきたのか、あるいはすでにはじめからそのなかで成長してきたのかのいずれかである。実存をおのれのものとして掌握するにせよ、あるいはそれを逸し去るにせよ、実存はそのつどの現存在自身によってのみ決定される』(上巻pp48-49)

以上が序論と頻出語のまとめです。

続いて第一部「現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」では、現存在と時間の関連について詳細な分析が行なわれます。

はじめに、現存在の基本的分析が行なわれます。
『現存在の「本質」はそれの実存にある。』(p109)と言われます。形而上学にとって存在者の本質とは、プラトンにおいては理念(イデア)であり、アリストテレスにおいては形相(エイドス)です。客体的に存在するものに備わっている属性が、本質として考察されてきたわけですが、ハイデガーにとって存在者の本質は、存在のあり方となります。私なりに解釈した言葉で言えば、人間の持っている特徴、属性によって、人間の人間性が決定されるのが形而上学的思考だとすれば、ある一人の人間がどのように生きているか、存在しているかによって、人間の人間性が決定されるのが存在論的思考となります。

己の実存を把握しつつ、生きている人、自分の生きる目的、可能性、存在の意味を了解しながら存在している現存在は、本来的な生を送ります。一方、実存を逸している人、なぜ自分が存在しているのか理解していない人は、非本来的な生を送っていると言われます。ここで大きな問題となるのは、世間の多くの人が、非本来的な生を送っている世人だということです。

『目立たなさと突きとめにくさのなかで、世間というものがその本格的な独裁権を発揮する』(p277)
「世間は事実上平均性のなかに住み、その立場から、そのつど何が妥当であるかを定め、すべて平均的なものを是認し好評するが、そうでないものを非として歓迎を拒む」(p277)
『世間はいたるところに来合わせていて、しかも現存在が決断を迫られるときには、いちはやく姿をくらましている。けれども、世間はあらゆる判断と決断をすでに与えられていると称するので、世間は各自の現存在から責任を取りさる。』(p278)
『だれでもが他人であり、だれひとりとして自己自身ではない。日常的現存在であるのは誰れなのかという問いに答えるものは世間であり、無人である。』(p279)

『日常的な社交生活の存在性格ーー疎隔性、平均性、均等化、公開性、存在免責、迎合』(p279)の中では、自己も、他者も見失われています。しかし、ハイデガーはこの状態は無でなく、実在であると言います。存在について知らなくても、実存と関わらなくとも、自分が今とは別様に存在できる可能性があるのを知らずとも、存在者は実在できるからです。

みずからえらびとった本来的自己と、世間的=自己は区別されます。

『私というものは、さしあたってこの世間から、かつ世間として、私に「与え」られるのである。さしあたっては、現存在は世間であり、そしてたいていはそのままなのである。現存在が世界を自分の眼で発見し熟察したり、また現存在が自己の本来的存在をおのれ自身に開示しようとするときには、このような「世界」の発見と現存在の開示は、現存在が自分を自分自身から閉め切るために用いてきたさまざまな閉塞や不明化の一掃として、さまざまな歪曲の打破という形でおこなわれるのが常である』(p282)

現存在が本来的自己へいたる可能性を了解すること、本来的自己を選択することの可能性は、『「無差別選択の自由」という意味での、宙に浮いた可能性を意味するものではない』(p312)と言われます。

『現存在は本質上心境的なものであるから、いつもすでに特定の可能性のなかへはまりこんでおり、そしてそれが存在している存在可能としては、ほかの特定の可能性をすでに逸している。現存在は自己の存在のいくつかの可能性をたえず断念し、あるいはそれらを掌握し、また掌握しそこねている(…)現存在とは、ひとごとでない自己の存在可能へむかって自由であることの可能性なのである。(…)了解するということは、このような存在可能を存在することであるが、その存在可能は、客体的な意味における未来ではなく、本質上決して客体的に現前しえないものとして、現存在の存在とともにすでに実存の意味で「存在している」のである。現存在は、しかじかのありさまで存在することを、そのときどきにすでに了解している、もしくは了解していない、という様相で存在している。(…)現存在が了解というありさまでおのれの現を存在しているからこそ、現存在が自分の道を誤ったり、自分を見損なったりすることもありうるのである。』(pp312-313)

ここにおいて、人間が何故現ー存在と言われるかの理由が示されました。今、現在に存在し、自分の可能性を感じたり、見損なっているから、人間存在は現存在と言われるのです。
現存在が自ら存在しつつ、自分が存在していることを了解する元となるものは、時間です。現存在は、過去の積み重ねと未来の可能性両方から現在の自分自身を了解しています。過去は現存在のすぐ後ろにあるだけでなく、現存在に先回りして、現存在の可能性を規制しているとも言われます。過去がこのまま未来にまで続いて行きうるし、未来は過去の中にすでに萌芽を持っているわけです。存在論においては、通俗的時間概念は打破されます。

現存在は様々なことに、世界に関心を持つ世界ー内ー存在です。存在の意味を忘却したまま、非本来的な生を送る現存在も、時間の経過により死を迎えます。死を先駆的に了解するとき、現存在は、本来的な存在可能性を了解します。良心の呼び声にしたがって、世間の空談から離れることがすすめられます。

非本来的実存は無覚悟性を有していると言われます。無覚悟の人は仕事に追われ、偶発事件と、殺到してくる手近な出来事によって自分を了解していると言われます。未来の可能性に向けて自分を企投する人、過去と未来と現在をつなぐ人が、本来的な現存在です。

さて、20世紀哲学界に大きな衝撃を与え、多くの若者に読まれた『存在と時間』ですが、序論で行なわれた存在についての問いを発展させ、存在論の歴史解体作業となるはずだった第二部は、結局書かれないままでした。ハイデガーは『存在と時間』発表後、現存在よりは、存在そのものを中心に思索を進めていきます。存在論的転回を迎えたと言われる後期ハイデガーの思索については『「ヒューマニズム」について』をご参照下さい。

関連作品
「ヒューマニズム」について マルティン・ハイデッガー 、筑摩書房、1997

ハイデガー「哲学への寄与」解読 鹿島 徹 相楽 勉 佐藤 優子、平凡社、2006
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