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形而上学入門(付・シュピーゲル対談) | |
マルティン ハイデッガー Martin Heidegger 川原 栄峰 平凡社 1994-09 Amazonで詳しく見るby G-Tools 関連商品 存在と時間〈下〉 存在と時間〈上〉 ニーチェ〈1〉美と永遠回帰 全体性と無限 (上) ハイデガーの思想 |
シュピーゲル対談は1966年9月23日に行なわれたハイデガーの対談ですが、ハイデガーの意向により、彼の死後、1976年に公表されています。1933年フライブルク大学の総長に就任したハイデガーは、当時ナチス政権に協力的態度をとっていたのではないかと、戦後批判されました。この対談は、非難に対するハイデガー自身の応え、説明を意図して企画されましたが、対談はその意図を超えて、ハイデガー哲学の現在の転回についての説明ともなっています。日本では、一度「ハイデッガーの弁明」という表題で、1976年に雑誌に発表されていますが、現在は国際通例の題名『シュピーゲル対談』に変更され、平凡社の『形而上学入門』に付録として掲載されています。
ハイデガーは、シュピーゲル誌の質問に応えていきます。
『シュピーゲル:われわれはあなたの総長就任講演に一つの新しい調子を聴き取れるように思うのです。あの中であなたはヒトラーがドイツ国首相に指名されてから四ヶ月の後でしたが、「この勃興の偉大さと素晴らしさ」などということを言っておられるのですから。」(p364)
という発言に対して、ハイデガーは「ええ、私はそれを確信しておりました。」と、戦前の自分の発言を撤回することなく肯定しています。一見すると、ハイデガーはナチス的なものの台頭を肯定しているかのような誤解が生じるのですが、この後ハイデガーは、ナチズムの考える「政治的学問」と、総長就任時、自分が確立しようとしていた学問の違いを述べます。
『ハイデガー:「政治的学問」というこの標題は当時全く違った意味を持っていました。これは今日のように政治学を指していたのではないのです。そうではなくて、これは、学問そのものと学問の意味と学問の価値とは民族のための事実上の効用によって評価されるということを言っているのでした。特にこの学問のこの政治化に対抗する立場が私の総長就任講演の中で語りだされているのです』(p366)
ナチスから大学の独立性を守ろうと奮闘していたというハイデガーの主張に対して、シュピーゲル誌側は、「学説とか理念とかが諸君の存在の規則なのではない。総統自身が、そして彼のみが、今日および将来のドイツの現実とそれの法則とである」という、1933年の秋になされたハイデガーの、ヒトラー賛美ともとれる言葉を引用します。ハイデガーは、その引用はローカルな学生新聞に載ったにすぎず、総長職をやるからには、政権と妥協しなければ切り抜けて行けなかった、総長退任後の1934年には、そんなことはもう言わなかったと反論します。
この後も、ハイデガーは、ナチスと自分が完全に恊働しているわけではなかったことを述べ立てていきます。ユダヤ人学生や教授との交流、ナチス政権に同意するしないに関わらず人材を登用したこと、密偵に注意しながら暮らしたこと……
ナチズムとの対決という課題は、ニーチェとの対決という課題に象徴的に変化します。
『ハイデガー:1944ー45年冬学期ライン湖畔での土工作業を終えたあと私は「詩作と思惟」という題の講義をしました。これは或る意味で私のニーチェ講義の、つまりナチズムとの対決の続きだったのです。』(p381)
という箇所を読んで、現在単行本にまとめられているハイデガー屈指の名講義『ニーチェ』は、ナチズムとの対決を暗示したものだったのかと合点しました。ニーチェは、ナチスに是認された思想家です。ハイデガーはニーチェ講義において最初、ニーチェを形而上学の破壊者だと論じますが、最終的には形而上学の完成者だと解釈しなおし、ニーチェにも続く形而上学の営みに対して、自分の「存在の思索」をおきます。あの対置は、超人、力への意志といった、ナチスの思想とも共鳴しうる価値論中心の人間的なニーチェ哲学に対して、存在中心の自己の哲学を対置させるという試みだったのだと了解しました。
『存在と時間』におけるハイデガーの哲学は、民族の歴史性に基づき、決然となって戦うことを肯定するような実存的響きを持っていましたが、1934年以降のハイデガー哲学は、実存主義を離れて、存在そのものに関する深い思索となっていきます。この静かで深い営み自体が、ナチズム的な積極性、活動力との対決だったのでしょう。
対談の最後、ハイデガーは、現代の芸術が芸術の道しるべを持ち得ていないことを嘆いた後で、知の状況全体も道しるべを失っていることを指摘します。
『ハイデガー:思惟の最大の困窮は、私が見うるかぎりで、今日まだ思惟をはっきりとした形をとって直接的に自らの事柄の前へと、したがってまた自らの道へと連れて行くのに十分なほど「偉大」であるような思惟者が語るということがないという点にあります。われわれ今日の人間にとって思惟されるべきものという大きなものがあまりにも大きすぎるのです。多分われわれは、一つの過渡のための狭い、そしてあまり遠くまでは届かないいくつかの小径をつけることに骨折ることができるのでしょう。』(pp408-409)