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書評:パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』

この記事の最終更新日:2006年5月31日

舞踏会へ向かう三人の農夫
舞踏会へ向かう三人の農夫リチャード パワーズ Richard Powers 柴田 元幸

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(以下の文章は2004年11月に別サイトで発表済みの文章を転載しています。)

パワーズはポスト・ピンチョンと呼ばれる、現代アメリカ文学最大の作家。ただ、現代アメリカ文学最代の作家と銘うたれているのは、ピンチョンとか、パワーズとか、デリーロとか、モリスンとか、それこそたくさんいる。

大学の頃、国立市の図書館で借りて最初の数頁だけ読んだけど、全然面白くないし、分厚かったから読むのをやめた。

その時からだいたい二年後の現在、柴田元幸の「ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち」を読んだ。九人の作家のうち、村上春樹のインタビューが一番面白かったが、パワーズのインタビューが一番知的だった。パワーズのインタビューを読んだ後で、オースターとか、カズオ・イシグロとか、レベッカ・ブラウンのインタビューを読むと、彼ら全員が全く詩的な言葉ばかり連ねているように感じ、パワーズだけめっちゃ頭よさそうに思える。それでも村上春樹の言葉は独特の力を持っていて、本当に彼は漱石や鴎外みたいな、自分一人だけの孤高のスタンスをとっている貴重な作家なんだと改めて思った。

パワーズのインタビューがやたら知的だったから僕は、彼と彼の作品がすごく気になり、いろいろサイトをあたった。彼は、物理学をやっていると、専門領域に埋もれそうだが、フィクションなら、知を統合的に表現できるのではと思い、小説家を志したらしい。

モダニズム以後の小説がやたら複雑になってきたのは、小説が小説だけで専門的になりすぎたせいだとブロッホは批判した。僕もそう思う。けれどパワーズは、物理より小説の方がまだ袋小路におちいっていないと思ったのだろう。たしかにわけのわからない数式延々並べるのと比べたら、小説はまだ読めるという希望を持てる気がする。

とにかくパワーズは十九世紀的、全体的知識人への憧れをフィクションに託したと言える。そんな全体的知識人など不可能だとフーコーは言ったわけだが、パワーズは偉大なる知識人の妥当性を信じ、やたら知的で複雑で、語彙のいっぱいつまった本を書き、実際アメリカ文学最代の作家と言われるまでになった。

現代世界で知識人はどうあるべきかみたいな話を僕は卒論の中で少し展開した気がする。スピヴァクは、専門的制度からは逃れられないが、その中でより自由な領域を開拓することは可能だと言っていた。僕もフィクションという狭い文学制度の中で、より自由で希望のもてる領域を開拓しようと思う。開拓行為とは、「小説をどう思っているかについて語ること」をさす。パワーズは、統合知の現前の場として小説を選んだわけだが、僕は大知識人になれるとも思えない。理系が得意じゃないから。


前置きはこれくらいにして、作品そのものについて触れよう。以前に一回触れたから、その引用を繰り返そう。この小説の要点とは以下だと思う。

『その真理とはーー見る者と見られる者とは、融合して不可分のひとまとまりを成す。距離をおいて物体を見ることは、すでにその物体に働きかけること、それを変えてしまうことであり、みずからも変えられてしまうことなのだ』(p46)

『二者は不可分に絡み合っている。記述と改変とは、同じプロセスの不可分なニ要素である。不透明な一個の全体に、どちらも溶け込んでしまっているのだ』(p237)

『現在のなかの過去、横に並んだ二つの世界の相互干渉。歴史が二番目の像をほんの少し傾けることで、視差(パララックス)の作用によって二つの像は重なりあい、オリジナルの三次元を完璧に再現する。そのオリジナルの像、唯一ありえたオリジナルの像こそ、ただひとつの不動の舞踏なのだ。』(p406)

難しい言葉の連なり。二つのものは必然的にまざりあい、まざりあってこそ、初めて現実をなすということかもしれない。

パワーズは他の小説家より頭がいい、統合知として小説を書いていると思ったから、僕はつまらないと感じたこの小説を最後まで読むことができたわけだ。ここでまた性懲りもなく、僕の小説、文学に対する姿勢を考えてみよう。作品について何も論評していないと思われるかもしれないが、パワーズは僕らに考えることを促しており、僕が自分自身について考えることこそ、パワーズの作品について考えることになると思う。それこそこの小説のテーマ、相互干渉だ。

僕は書いたものを公の場にさらしたいと思っているから、何かしら人々との接触を小説によってはかりたいのだろう。今までの大小説家と言われる人が何故小説を書いてきたのか、参考までに考えると、だいたいみんな美を現そうとしてきた。小説は芸術作品であり、美しいものだった。それがだんだんリアルになり、人間の内面全てを描ききろうとした。汚らしい感情もまた、美なのかもしれない。僕はあまりそう思えないけど、モダニズムの作家はそう思ったのだろう。

僕は二十一世紀の情報過多な現状を表現するだろう。流れに流れている情報を全部小説の中に盛り込もうとすると大変な量になる。カオス系。

プルーストは小説を書くことで何をなそうとしていたのか。プルーストにあっては、芸術作品を作ることこそ人生だった。芸術作品でしか自分の考えていることは述べられないし、コミュニケーションできないとプルーストは考えた。

じゃあ僕もそう思うことにしよう。なんだこの無批判で単純なマインドコントロール的同意は! それでも僕は、結局小説でしか僕の考えていることは表現できないと思う。マスターベーションについて友達の女性に語るのは無理だし、壮絶な殺戮場面を好きな女性に語ることもまた不可能だが、小説だったらどっちも自由に語ることができる。

なんだかパワーズに比べて全然知的じゃない。しかし、「三人の農夫」を読み終えると、宣伝文や人が言うほど小説の中に20世紀の全てが描かれているわけじゃないと思うし、博学な知識がつめこまれているわけじゃないとも感じる。

戦争の話と現代の東京と、マスターベーションとユダヤ人についていっしょくたに語れるのは小説くらいなものだろう。やはり小説はなんでもありだから、パワーズのいうように、いろいろなカテゴリーをぶちこんで、混同して、統合しよう。その実践こそ小説家のつとめだ。いや、僕とか、現代人はみんな、戦争について考えた後、東京で暮らし、マスターベーションやセックスをし、その後ユダヤ人について考えることなんて、当たり前のことなんだろう。その当たり前の意識の流れを実際に作品化して示すのが、現代社会に生きる小説家という人々に課せられた仕事なのかもしれない。


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