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評論:「ポストコロニアリズムのアイデンティティ概念の拡大」第3章

この記事の最終更新日:2006年4月6日

当サイト作成者さいどひるの論文です。このページでは第3章を掲載しています。


平成14年度社会学部卒業論文
「ポストコロニアリズムのアイデンティティ概念の拡大〜ポストコロニアリズム、トラウマ治療理論、軍事心理学の差異をみる」


目次

序論

第1章 ポストコロニアリズムとの対話
1-1  取り上げる人物,文章を選択した理由
1-2  サイードを読む
1-2-1 『文化と帝国主義』を読む
1-2-2 知識人のあり方について
1-3  スピヴァク『ポスト植民地主義の思想』を読む
1-3-1 概観
1-3-2 「1 批評,フェミニズム,そして制度」を読む
1-3-3 「2 ポスト・モダン状況 政治の終焉?」を読む
1-3-4 「3 戦略,自己同一性,書くこと」を読む
1-3-5 スピヴァクの議論のまとめにかえて
1-4  トリンを読む
1-4-1 著作説明
1-4-2 アイデンティティと権力について
1-4-3 歴史と物語の違いについて
1-4-4 芸術家,作品,受容者の関係について
1-5  ポストコロニアリズム理論の包括的概念抽出

第2章 精神医学のトラウマ治療理論とポストコロニアリズムとの対話
2-1  医療人類学の批判的摂取
2-2  「心的外傷後ストレス障害」の精神医学的定義
2-3  ハーマン『心的外傷と回復〈増補版〉』を読む
2-3-1 概観
2-3-2 第1部「心的外傷後障害」を読む
2-3-3 第2部「回復の諸段階」を読む
2-4  ポストコロニアル状況とポストトラウマティック状況の差異

第3章 軍事心理学とポストコロニアリズムとトラウマ精神治療理論の対話
3-1  サイードの軍人表象はオリエンタリズムだ
3-2  マクナブ『SAS特殊部隊知的戦闘マニュアル』を読む
3-3  知識人と知的エリートの差異

結論にかえて「抗議をやめて講義を受けよ」

文献目録

結論2


第3章 軍事心理学とポトコロニアリズムとトラウマ治療理論の対話


3-1 サイードの軍人表象はオリエンタリズムだ

 サイードの『文化と帝国主義』の中に以下のような民間エリートを批判する1節がある.サイードはイスラム圏の大学に招待された.英文コースでは,古臭い講義が行われていたのに,履修する学生が何故か多かったと言う.
 
  英文コースを履修する学生が多い理由は,どことなくしらけきった教員のひとりが率
  直に語ってくれたことによれば,こうだ.学生の多くは卒業後,航空会社や銀行に就
  職が内定していて,こうした職業では英語が〈国際共通語〉なのである.ただこれで
  は英語から表現の特徴や美的特徴をはぎ取り,批判的あるいは自意識的次元をこそぎ
  とり,ただの機能的な道具のレヴェルにおとしめることにほかならない.コンピュー
  タを使い,注文に応じ,テレックスを送信し,積み荷リストを確認することができる
  ように英語を勉強するというわけだ.それで終わり.(サイード 2001; p193)

 この英語の道具的貶めの状況が,イスラム復元主義と共存していることをサイードは指摘する.アラビア語は高められ,英語は機能言語に貶められているというわけだ.しかし,上の航空会社や銀行に就職する学生に対するサイードの否定的な表象は,東洋を否定的に表象するオリエンタリストの表象と語り方が似ている.
 これとよく似た,より傲慢な事例をもう一つ紹介する.批判意識のない専門職に対する限りない嫌悪感は,『知識人とは何か』でも表明される.第5章「権力に対して真実を語る」でサイードは,専門分野の隠語を仲間同士で語り,権威に対して独立精神も批判意識もない専門職を批判する.
 サイードがコロンビア大学で働いていた時,ヴェトナムで空軍に勤務していた経験のある学生がサイードのセミナーを受けるために面接に来た.そこでサイードはプロフェッショナルたちの隠語の実例をみたと言う.
 
  「軍隊で君は実際になにをしてきたか」というわたしの執拗な問いに対し,彼がいき
  なり「目標補足」と答えたときの衝撃を忘れることはないだろう.彼が爆撃手であり,
  その職務は,まあ,いうなれば爆弾を投下することであるとわかるまでに,わたしに
  はさらに数分を要した.・・・ちなみに,わたしは彼をセミナーに入れることにした
    彼について観察できるという心づもりがあったのかもしれないし,できるならば,
  その恐るべき専門用語を捨てさせようと考えたのかもしれない.まさに「目標補足」
  である.(サイード 1998b; pp139-140)
 
 『オリエンタリズム』でサイードは,オリエントは実際に存在するのではなく,西洋の中にこそ存在する,オリエントとは現実と完全に符合することのない他者に対するイメージであると分析した(サイード 1986 ).そう言うならば,このような皮肉のまじった,冷笑的な他者表象は,控えるべきではないだろうか.もっと自分の言説に責任を持つべきではないだろうか.
 少なくともスピヴァクの文章にはこのような憶断は入らないであろう.しかし,彼女の文章は,あまりに専門的な晦渋さに溢れているので,サイードのいうプロフェッショナリズムに陥っていると言われても否定できない.サイードには知識人たるものアウトサイダーたれ,専門語に翻弄されることなく常にアマチュアたれ,という主張がある.よって,どうしてもこのような問題発言が繰り出すのであろう.
 本章では,このサイードの健気で一途な他者表象に対して,専門家側からみた,専門家の表象を対置させる.
 「切断」でスピヴァクは以下のような認識法を示してくれた.権威に従順な専門職ばかりがはびこる体制を不満に思い,中心から周縁に追いやられている知識人に目を向けると,今度は中心にあった専門職が自己から無限に後退してしまう.サイードの専門家に対する偏見は「切断」にみえる.スピヴァクはこの切断概念を,理論化が後退させてしまった本質を徹底的に検証するための方法として提唱している.私も,サイードが知識人の表象に目をむけることで切断されてしまった専門家の表象を,専門家のみに焦点を絞ってみてみたいのだ,知識人を切断することによって.
 とりあげるテクスト,表象が描かれている著作は,マクナブ『SAS・特殊部隊知的戦闘マニュアル』(2002,原書房)である.著者クリス・マクナブは軍事史研究家であり,ミリタリー関連の書籍を多数執筆しているという.SASとは,イギリス陸軍特殊空挺部隊の略称である.この部隊は空挺部隊という名称をもつものの,アメリカ軍のグリーンベレーやデルタフォースと同じように,様々な特殊任務を行う「エリートフォース」「ゲリラ部隊」「不正規軍」なのである.数ある特殊部隊の中でもSASは最強というふうにミリタリーマニアの間では表象されている.軍事関係の本棚に行くと,SAS関連のサバイバル,護身術,戦闘技術,戦闘記録の本がたくさん置いてある.この本ではSASの隊員にはどのような訓練が行われているのか,普通の軍隊とSASの違いは何なのかということが,主にメンタル面の訓練に即して語られている.
 戦争に反対すべき知識人の立場とは正反対にあるのがSASであると言える.この本をとりあげるからといって,私は何も右派ではないし,戦争賛成派なわけでもない.私の立場はあくまでサイードやスピヴァクらポストコロニアリズムの方に傾斜している.ただ,そこにいたのでは無限に後退してしまうものを捕まえるためにこのテクストを選んだ.徹底的に批判するためには,敵の理論や実践を詳細に把握しなければならない.
 別にビジネス書や意志決定モデルなどを語ったMBA関連の研究書まがいのものを取り上げてもよかったのだが,軍隊の方を選んだ.なぜなら,ポストコロニアリストが資本主義経済に対して表象することよりも,戦争に対する表象の方が激しく誤っているだろうと想定したからである.水と油の関係であろう.
 本書の語りの中心にはアイデンティティが据えられている.本章でも軍人のアイデンティティがテクスト内でどのように理想化されて表象されているかをみる.また,そのアイデンティティ像は精神医学の文脈で推奨されていたアイデンティティ像と近いので,その問題点も指摘しつつ,返す刀でポストコロニアリズムのアイデンティティ概念の問題点も検証する.さらに,2章で提起された「信頼・連帯・団結」などをポストコロニアリストがなぜ言説から排除するのかという問題もこの章の末尾で明らかにされる.

 
3-2 マクナブ『SAS特殊部隊知的戦闘マニュアル』を読む

 マクナブの著書の中から,はじめの5章までを読んで行く.チームワークを扱った5章までとりあげれば,それだけで軍事エリートと知識人の違いが明確になると考えたためである.
 第1章「生き残る意志」をみる.20世紀になるまでは,西洋では軍隊の精神面が考察されることはほとんどなかったとマクナブは言う.20世紀に入って強力な破壊力を持つ新兵器が次々とうまれ,大量に兵士が導入されるようになると,兵士の間で大量に発生する精神障害が大きな問題になった.これにより戦争と精神医学が大きく連関してくる.また,どのようにすれば精神障害に陥らないメンタルの強い兵士が作られるかという軍事心理学の研究も各国で盛んに行われた.現在の軍事心理学の研究では,精神障害の予防・治療よりも,「人間という機械が多数の任務を最良にこなすための方法」(マクナブ 2002; p18)の研究に重点が置かれているという.
 現在たいていの国では全ての兵士が軍事心理学による恩恵を受けていると言う.ここまででも十分に読者は軍事心理学がどれだけ支配制度に順応するものであるかがお分かり頂けただろう.戦争や権威に対する批判意識まるでなしである.
 マクナブの本では,特殊部隊が上記の軍事心理学的観点から分析される.特殊部隊員に共通する資質として,「知能」「自制心」「冷酷さ」「知識」「肉体的苦痛に対する忍耐」などがあげられている.特にこの本では,今後もくどく,優秀な兵士はみな知能が高いということが強調される.
 第2章「戦闘ストレスを克服する」をみる.現代の戦争は昼夜を問わない,何十時間と激戦が続くことがある.高度で複雑な最新兵器の操縦になれなければならないし,兵士には多大なるストレスがかかる.サイードが否定的に表象した退役軍人の学生は,目標補足のために多大なるストレスをおっていたのだ.「現代ジェット戦闘機のコクピットもきわめて過酷な戦闘環境といえる.パイロットは負傷や死の恐怖と戦いながら,途方もなく複雑な機器を扱い,吐き気を催すほどのGに耐えなければならない.」(マクナブ 2002; p34).
 マクナブは,特殊部隊は通常兵に比べてストレス患者の発生率が極端に少ないと言う.
SASでは,ストレス耐性を作るため,現実の戦闘に等しい訓練が行われる.兵士に慣れと自信をつけさせる.自信は部隊の絆によって作られると言う.「特殊部隊は小規模で結束の強い集団で訓練を受け,隊員はお互いを詳しく知るので互いに信頼関係が生まれる.・・・隊員たちは,ひとたび疲労と訓練の要求を分かち合ったら,その集団を守り,高めていきたいという欲求により,すぐれた熱意を示すのである.こうした熱意が高まると,兵士は自己に引きこもるのではなく,戦友に関心をもつようになるから,CSR(註:戦闘ストレス反応のこと)の入りこむ余地は少なくなる.」(マクナブ 2002; pp49-50 )
 この連帯感の強調は,ハーマンも同様であった.特殊部隊員のパーソナリティーとトラウマに耐性があるもののパーソナリティーはどうしても近似する.精神医学の実績が部隊の訓練にいかされるためなのだが.
 第3章「特殊部隊員の選抜と訓練」に移る.特殊部隊員は通常部隊で優秀な者の中から通常選ばれる.その選抜過程は厳しく,初期の訓練は過酷ないじめに近い.厳しい訓練を通して,スカウトは人格面でも知識面でも非凡な人物を選び出す.能力を判断するには,候補者を長期に渡って肉体的・精神的に極めて困難な状況に置くしかないという.知能・語学力・身体能力はもちろん必要だが,多大なプレッシャーのもとでも冷静な論理的思考能力を維持できるかが試されるのだという.候補生はさまざまな基準で評価を受けるのだが,心理学的な基準としては以下のようなものがあげられている.
 
  ・ねばり強さ 肉体的・精神的な限界にあっても自分の責任をまっとうできるか.
  ・・・・想像力と知能 プレッシャーのもとでも独自の方法で問題解決ができるか.
  極度のストレスのもとでも明晰な思考過程をたどれるか.・・・・団体精神 特殊部
  隊には孤立主義者の居場所もあるが,ほとんどの部隊では,集団での戦闘に積極的に
  参加し,個人の関心を後回しできるかどうかを訓練で試している.チームプレーので
  きる人物は,自分にない他人の才能を認めることができるので,よりよい戦術家にな
  れる.(マクレブ 2002; pp67-68)

 肉体的・精神的な限界状況でも明晰な思考ができる能力など知識人には求められていない.そのかわり,知識人はあらゆる権威に追従せずに自己の自由を守る任務がある.しかし,特殊部隊には知識人のような孤立主義者はいらないのだ.
 特殊部隊は集団的かというとそうでもない.特殊部隊員には「自分で判断を下す自主性を示し,集団の意志に流されない」(マクレブ 2002; p70)資質が必要だと言う.グループで動ける能力と個人で動く能力の両方が要求されるのだ.個人の判断が随所で求められる任務をこなさなければならないからである.
 
  訓練の最初の段階では,候補生の自我を攻撃し,挫くことに重点をおいているが,後
  半の技能訓練では,訓練生は成功に向けておおいに励ましと助力を与えられる.アメ
  リカおよびヨーロッパの軍隊で行われた調査では,訓練を受ける兵士にとってもっと
  も励みとなるのは,上官や同僚から認められること,賃金の上乗せや特別休暇などの
  特典をあたえられることだと,はっきり証明されている.(マクナブ 2002; p74)
  
 出典の明示もされていない調査の引用によって,攻撃してから優しくする支配の法則と,功利主義的な動機づけの価値観が語られる.初期訓練は脱落者を出すための残虐行為にしかみえなかったのだが,選抜がある程度終わると,実戦に役立つ知識を次から次へと教える訓練に切り替わる.
 ここまでの過酷な訓練を施されて,命をかけて何故闘うのかといえば,大義名分のためなどではない,身近な仲間の部隊員との連帯意識のためである.大きな支配権力の構造が,仲間間の友情と上官から与えられる報酬という狭い社会の形成によって,隠蔽されてしまう.
 第4章「知能と集中力」では,特殊部隊員にいかに知能が必要となるのかが説かれる.
 学歴とは関係のない知能の必要性が説かれる.学暦があれば難しい概念の扱いはできるようになるかもしれないが,自主的思考,集中力,感情コントロール能力,精神力などは学歴では証明されないという.
 ここで,サイードの批判していた英語の道具言語化の肯定面が語られる.言語運用技術について,「試験官は,矛盾なく容易に理解できる文章を作成できるか,複雑な命令を与えても理解できるかを見ている.こうした能力は,戦場で無駄に混乱なく自信をもって戦術を練る能力に結びつく.」(マクナブ 2002; p97).サイードの説くような言語表現の美的特徴や,スピヴァクやトリンの文章に現われる複雑な修辞など戦闘員にはやはり必要ないというわけだ.
 また,ポストコロニアリズムの知識人が,表象は現実を単純化している,事態はより複雑なのだという点を繰り返し指摘しているのに対して,特殊部隊員には現実の事態をより単純化して理解しやすいものにすることが求められる.戦場は秒刻みで状況が変わる,何もしなければ混乱がますばかりだ,混乱の増加は己の命をおびやかす.「現在の特殊部隊では,戦術を最小限必要なものだけにそぎおとし,むしろ,テンポと強力な戦闘能力に頼るようにしている.特殊部隊員は,明確な戦術的行動を案出し,潜入から脱出まで実行可能な計画を練らなければならないのだ.」(マクレブ 2002; p101).
 高度情報資本主義を象徴するように,テンポの異常な速さと強力な力が推奨される.資本主義の主流な流れに乗れない弱者はどんどん周縁に追いやられてしまう.
 第5章「チームワーク精神を培う」では,チームワークの重要性が説かれる.自制心,個人の気まぐれな感情を抑制する必要が説かれる.
 特殊部隊にとって,自己の集団を批判する精神は必要ないどころか,有害なものでさえある.「反目が生じれば部隊の戦闘能力が著しく低下する」(マクナブ 2002; p121).すぐれた成果をあげる特殊部隊は,「個々人が部隊への帰属意識をもっており,個人的に親密な関係を築きあげていることがわかった.」(マクナブ 2002; p121).集団に親密さは確かに必要なのだが,批判精神がなければ全体主義におちいるではないか.しかし,特殊部隊では批判などしていては,訓練についていけないし,戦場で死んでしまうのだ.仲間との協調,規律を守ること,信頼感を築くことのみに重点が置かれ,自己批判精神は,技能の判断ミスにのみ向けられる.判断ミスに対する注意は並外れたものなのだろう,命がかかっているのだから.支配権力に対して自己批判精神を働かせることは,彼らにとって直接命に関わる問題ではないため棚上げにされる.
 以下の章については,簡略にした要約を呈示する.第6章「統率力」では,ビジネス書にあるようなリーダー論が語られる.誠実,勇気,高潔さ,尊敬,没我的態度などがリーダーには求められるという.
 7,8章では細かい戦術について語られるので割愛する.
 第9章「拘留・脱出・サバイバル」では,監禁された場合の脱出法とサバイバル時の注意点が述べられる.監禁時には,自己でコントロールできることはコントロールすること,できれば助け合いのネットワークを作ること,人間としての尊厳を保つようにすることなど,ハーマンが語ったことと同様のことが語られる.
 第10章では平和維持活動における注意点が語られる.平和維持活動においては,戦場ではなく民間人が隣接する地域で活動することになるので更なる知能・判断力が求められると言う.平和維持活動の方が戦争よりも民間人が隣接しているし,敵の行動もゲリラ的になるのでやっかいだと言う.
 第11章では未来の戦争がどうなるかについて短い予言が語られる.


3-3 知識人と知的エリートの差異

 サイードやスピヴァクが呈示した知識人の表象と.特殊部隊員についての表象の間にある差異についてまとめてみる.3-2でとりあげたものは,あくまで特殊部隊員についての表象であり,いささか理想像の霧に包まれすぎていると考えられる.知識人についても,実体ではなくあくまで表象だといえるので,概念的に呈示された両者の差異を考察することにする.
 ここでは,特殊部隊員を広く専門家一般の代理表象として捉える事にする.特殊部隊員に必要な能力についての記述は,知識人になるために必要なな能力の記述と比べると,明らかに社会内で権威を持っている専門家の方に近いと考えられる.特殊部隊員と知識人を比べたため,そうなっただけなのだが,それでもここは強引に特殊部隊員の表象を専門家一般について語った表象として解読することにする.弱さをさらけだすように言いかえれば,特殊部隊について語られたテクストの中から,私が専門家についてもあてはまることだと思っている表象を抜粋して解釈することになる.
 さらに,サイードのいう専門家を私は知的エリートという言葉で再表象したい.知識人も知的エリートではないかと思われるかもしれないが,ここでは,社会の支配的な権威の恩恵を受けている人物を知的エリートとして定義することにする.サイードのいう専門家とほとんど変わらない概念である.専門家と知的エリートの違いは,サイードと私の論点の違いから生じる.専門家は他人にはわからない専門用語で話している,知識人はアマチュアたれという主張を行うためにサイードは専門家という表象を行った.私はそこにはあまり論点の中心を置かないため専門家という言葉を使わない.私が論点の中心を置くのは,「専門家」が社会の利益を享受し,権威者になっている点である.よって,権威に従わないように勧められる知識人に対して,私はエリートの位置に自らを置いてしまう彼ら「専門家」を知的エリートと呼ぶことにする.
 ここから先「知的エリート」という言葉で表象されるのは,全て前節の軍人の記述と重なっている.知的エリートのいる場所など軍隊と同じだと私が思っている妄想から知的エリートと軍隊が重なってしまったのかもしれない.しかし,知的エリートのあり方は,明らかに軍隊だ.二つの違いは,戦争を肯定しているのかどうかという点だけであろう.
 軍隊員は目前の危機に対処することに精一杯で,戦争自体否定されるべきかなどと優雅に考えている暇などない.知的エリートは戦争については考えられる.ただし,彼らも自分たちの所属する集団の価値が誤ったものであるかどうかなどという哲学的な談義は避けるだろう.忙しいのだ.無意味で非効率的でお金にならないのだ.
 知識人は彼らと違い,自分の位置する場所を絶えず批判的に吟味する.軍隊と知的エリートがなぜ,知識人と別に一まとまりに括られてしまうかと言えば,知的エリートと軍隊には自分の場所について厳密に考える哲学的思考習慣がないためだ.かといって私に知識人を持ち上げて,知的エリートおよび軍隊を貶める意図などない.両者の差異を見極めたいのだ.
 エリートは,知的でなければならないという固定観念があるため,知的エリートという言葉を私は採用したのかもしれない.しかし,SASの記述でも繰り返し知能の高さが必要だと言及されていた.その知能とは学歴ではなく,冷静な論理的分析力,感情を抑制する力,問題把握・解決能力などである.社会全体はやはり知を高価値に置いている.ただし,知的エリートの知と知識人の知は異なるあり方をしている.知的エリートには直面する問題の解決に役立つ即効性のある知能の必要性が説かれるが,知識人には,歴史的に,社会的に長いスパンで問題を考察する知力が要求される.
 知的エリートには,肉体的・精神的な強さも要求される.さらに,知識人にはあまり要求されない社交性,他者協調能力,グループ行動力が求められる.
 SASの本では,他者との信頼関係を築く能力の大切さが繰り返し説かれていた.感情的連帯,帰属意識の必要性が説かれていた.一人でも集団になじまない「腐ったリンゴ」がいると,集団全体の能率が落ちてしまうというのだ(マクレブ 2002;p127).軍隊では団体行動がとれないことは死につながる.「腐ったリンゴ」という表現はきついものだ.差別的である.サバルタンを排除する.同質でないといけないのだ.この過剰なまでに連帯を強調する視点は,知識人側にはない.
 だいたい女の話がマクナブの著書には全く出てこない.女性は排除されている.ただし,ワイズマン『SAS流肉体改造マニュアル』(2000:原書房)には,女性に対する言及も少しある.ワイズマンの本は,民間人でSAS隊員と同じような筋肉増強トレーニングを行いたいものに向けて書かれている.トレーニングを行う女性について書かれた箇所には,それほど女性差別意識はみられない.ワイズマンは,月経周期に影響なく女性が金メダルをとってきたことなど,性差別に反対意見を述べた後で,女性に適した運動の仕方,生理学的注意点などを「公正」な視点から科学的に述べている(ワイズマン 2000; pp10-19).ただこの本では,女に対する言及があまりないかわりに,トレーニングをしている写真の半数以上が女となっている.主に白人の「美しい女性」である.
 このような弱者排除の,強者による競争の団体主義が軍隊にはあるのだが,軍隊は集団依存を嫌う.個人で自制し,一人で考え行動できる人物を一方で表象している.団体行動と単独行動の両方をこなせなければならないのだ.それでも知識人側からすれば,彼らは集団的で,弱者排除のように見えてしまうのだが.
 最も注目したいのは,やはり2章の分析でも明らかにされたように,知識人側は感情の連帯を強調しないのに,支配価値観を受け入れる側は,社会の感情的連帯,信頼関係の育成,グループ行動を強く勧めていることである.ハーマンもトラウマの治療にはそれらの社会関係能力が欠かせないと言っていた.なぜ,知識人は孤立を勧め,感情・連帯を捨象するのか.
 ただし,軍隊は感情的信頼関係を強調しはするが,個人の一時の感情に流されないこと,自制する能力を一方では強く求めている.ハーマンも同様に,強すぎる感情に流されないこと,感情をコントロールしつつ,上手につきあうことを勧めている.
 本書の探求の主題はアイデンティティ概念だったが,もともとポストコロニアリズムのアイデンティティ概念など,知的エリートおよび一般のアイデンティティ観と違っていることなどわかりきっていた.考察の中で浮かび上がってきたのは,感情に対する表象の違いという新たな主題なのだ.感情の違いは,もはや知的エリート対知識人という2項対立ではなく,一般社会対知識人という2項対立にまで拡大されるであろう.これは結論で考察される.
 本節では最後に,アイデンティティ,歴史=物語,権力,知識人のあり方についての,軍事心理学とポストコロニアリズムの間にある差異をまとめる.
 軍事心理学では,アイデンティティを精神医学と同じように固定したものと捉えていた.当然,歴史=物語についても直線的に発展する一つの歴史,物語が公認されている.もちろん対立する敵の歴史は潰さねばならないのだが.注意点としては,想像力のある人物などいらないと公言されている点が上げられる.論理的思考能力が推奨されるかわりに,一人でひきこもって想像を膨らませている人間ははっきりいらないと公言されている.ただ一つの目的を熱心に追求すること,わき道にそれずに分析する能力が高められる.共同体にとって物語は一つなのだ.個人の妄想は許される余地がない.
 権力については,軍隊は従順である.むしろ上官の命令に反抗するようだと規律を乱すのでいけない.もちろん,論理的に説明する反論なら許されるが,自己側の権力構造を問うことなどしている暇がない.せまりくる敵の権力と闘わなければならないからだ.自己側の権力構造の問題点は,いかに敵に負けない組織を作るかという観点に従って,学者によって研究される.一般兵士には関係のないことだ.
 知識人のあり方について言えば,戦争に反対する知識人など体制に対する反抗勢力として認識される.必要としている知のあり方が違うのだ.
 軍事心理学が無限に変化する境界のないアイデンティティなど受け入れられるだろうか.ただし,戦場は実際そのような状況になっている.テロリズム,ゲリラ戦など,上の命令をまって大部隊で行動していては対処しきれない時代になった.戦場は自然地から市街地に変わり,いつでも突然始まり,市民も隣接する.そこで軍隊内のアイデンティティ概念も対応して変化した.ただし,混沌を増す方向ではなく,より秩序だった方向にだ.
 現代のこのような戦闘の状況は,過去のものよりカオス的になったことは確かである.混乱状況が増えれば増えるほど,軍隊ではより秩序化する能力を高める指導がなされる.過去においては,論理を決定する命令系統はピラミッドの頂点のみにあったのに,現在では,末端の兵士に論理決定能力が委譲される.よりました混乱にたいして,より強固な秩序化能力が求められることになったのだ(マクナブ 2002; pp242-265).
 権力の分散という視点からみれば,ポストコロニアルのアイデンティティに近づいたように見えるが,秩序化する能力を末端の兵士まで分散させているだけで,秩序化そのものは疑われていないのだ.
 ただし,これはテロリストと戦う支配者側の軍隊の立場にたった視線であり,テロリストはポストコロニアリズムのアイデンティティ概念及び戦略を模倣しているように映る.まさしく植民地側の彼らは,強大な西洋の支配権力に対して対抗するためにばらばらに分裂し,撹乱する戦術を選んだわけだが,これでは,テロリズムとポストコロニアリズムは共謀関係にあるような誤解を受けてしまうことになる.テロリズムとポストコロニアリズムの相関関係という主題も浮かび上がった.ポストコロニアリズムにおける感情の扱いという問題と一緒に,この問題についても最終結論内で考察する.



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