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『判断力批判』は『純粋理性批判』、『実践理性批判』に継ぐカント第三の批判書であり、序論において、カントのそれまでの批判理論が総括的に解説されています。今回は、難解なカントの哲学をカント自らが体系的に解説した『判断力批判』の序論を取り上げます。
哲学の文脈では、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェの名が頻繁に出てきます。ハイデガー、デリダ、ドゥルーズ、ハーバーマス、スピヴァクらを読むにあたっても、彼らの名、思想は頻繁に出てきます。逆に言うと、一見とっつきにくい彼らの思想をおさえておけば、たいていの思想書は読みこめるわけです。セネカ、トマス・アクイナス、スピノザ、ライプニッツ、ベーコン、フィヒテ、シェリング、ショーペンハウアー、フッサール、ディルタイなどの哲学者については、教科書的な知識さえあればなんとかやりこなせます。それらの哲学者は、先にあげたカントらの哲学をおさえておけば、派生的に理解できる、ある程度の単純さを備えているのです。対してカントら先にあげた哲学者らの思想は、広大で複雑で、哲学史において決定的に重要な故に、後代の思想家に頻繁に取り上げられますし、理解が必要なのです。
カントは『判断力批判』序論において自己の哲学体系を振り返り、自然概念と自由概念を区別します。自然概念とは自然の事物に対する概念であり、自由概念とは自然の事物によらない概念をさします。『純粋理性批判』で取り上げた悟性は自然概念を認識し、『実践理性批判』で取り上げた理性は自由概念を認識します。
悟性と理性の違いとは何でしょうか。そもそも悟性と理性とはどのようなものをさすのでしょうか。簡単に言うと、悟性は外界にある自然物を認識する働きのことをさします。推論能力を含む理性が働き始める以前に、悟性がまず外界を認識するのです。
悟性が認識する外界とはどのようなものでしょうか。カントによると、悟性は客観的に存在するものそれ自体を認識することができません。悟性は人間の目の前に起きている現象を認識するにすぎません。「りんごの本質」とか「ライオンの本質」といったもの自体、どのりんごやライオンにも共通するものは、感性ではとらえきれない超感性的世界に属するものです。悟性が認識するのは、目の前にあるりんごやライオンという一つ一つ異なる現象にすぎません。私たちが見る一つ一つのりんごやライオンはどれも形が微妙に異なります。それら一つ一つはりんごそのもの、ライオンそのものでなく、ある一つのりんごという現象、ある一つのライオンとう現象にすぎないのです。
何故カントがもの自体と現象の違いにこだわっているかというと、当時のヨーロッパでは、客観的に認識できる真理などない、一つ一つの経験しか確かなものはないという経験論が流行していたためです。経験論が指し示す世界では、人間は世界を、目の前で万物流転していく現象の、一回限りの経験としてしか了解できなくなります。誰にも共通する客観的認識の基盤がことごとく否定され、世界は一人一人異なる主観的経験の積み重ねでしかなくなるのです。
経験論はプラトン流のイデア論に対する反発の一種です。プラトンは、人間の目には見えないイデアの世界があり、我々が見ている世界は純然たる本物たるイデアの影でしかないと述べました。哲学者の仕事は、ばらばらの事物の中から、事物の本質、イデアを究明することになります。偽物と曖昧さが溢れる不確定の世界の中から、確かなことを見定めて、共通の客観的基盤を創ることが哲学の仕事だとすれば、経験論は世界の不確かさをまるごと肯定しているのです。
哲学の危機とも言える状況で、カントは共通了解の基盤を整備しようとしました。プラトン的なイデアの世界、もの自体の世界は、カントにとっても、認識できない超感性の世界として規定されます。個々の人間が経験している世界はばらばらであるし、経験が何より第一にくるとした経験論とカントで決定的に異なっている点があります。それは、経験よりも前に、悟性による認識があるし、もの自体の世界が存在するとしたことでした。
悟性はもの自体の世界が差し出す、現象を認識します。普遍的な悟性の認識能力があってこそ、経験が生じます。これは、悟性が経験をア・プリオリに規定していると言いかえられます。ア・プリオリとは、経験の前にあるもの、先験的という意味です。以上が『純粋理性批判』のまとめです。
悟性に続いて理性の働きを見ていきましょう。自由概念を扱う理性は、自由概念が存在する超感性世界と関わることができます。理性が関わる自由概念の超感性世界とはどういうものかというと、それは『実践理性批判』で取り上げられた道徳法則の世界です。自由と道徳は相反するもののようですが、カントにとって自由とは、外界の事物によらない、快不快の個人的感情によらない、個人にとって自由にできる領域をさします。個人的感情、利害関係を超えて、超感性的世界にある、普遍的に妥当する道徳法則に従って生きることをカントはすすめます。
理性は自由概念がある超感性世界と関わることができるのですが、超感性世界そのものを認識することはできません。超感性世界にある道徳法則は感性界で実現するかもしれない、可能性の根底として察することができるまでです。道徳法則を感性界において実現すること、これが実践的な理性の働きです。
ここにおいてカントは「人間の全認識能力はア・プリオリに立法的・構成的である」と述べます。悟性は感性界における経験以前に、現象としての世界を構成しますし、理性は感性界における経験以前に道徳法則を立法します。悟性も理性も超感性的世界を直接認識することはできないのですが、超感性世界に何があるのかの可能性を察することで、感性界において、人間が何を経験するのか、どのようにふるまっていけばいいのか、構成し、立法する働きを持っています。カントによれば、人間に備わっている認識能力こそが、世界を構成していくのです。
もの自体の世界は、人間が経験できる範囲でしか存在できません。人間の経験範囲がもの自体の世界を規定しているのだといえます。客観的世界の存在、神の定めた論理に対して、人間存在の優位性を立証するカントの哲学は、天動説に対して地動説を唱えたコペルニクスになぞらえて、コペルニクス的転回と呼ばれます。
さて、では悟性でも理性でもない、人間が持つ第三の認識能力、判断力とは何を認識する能力なのでしょうか。悟性も理性も、人間の欲求能力や快不快の感情とは無縁の場所で働いていました。判断力は、人間の個人的事情が絡んでくる場所で機能する認識能力をさします。趣味、美、崇高なもの、人と自然物とが関係する場所で、判断力は機能するのです(以下は判断力本論に続いていきます)。
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